生家の遺筥深く眠っていた伊藤公自身の手記を時系列に活字化した
一巻物の「伊藤博文全集」「伊藤博文史料集」ともいうべき稀書
滄浪閣残筆 伊藤博文遺稿
 伊藤博文/伊藤博精編
 マツノ書店 復刻版
   2018年刊行 A5判 上製函入 469頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『滄浪閣残筆 伊藤博文遺稿』 略目次
 明治改元当時
・ 明治改元当時ノ覚書
・ 兵制確立ノ上言
・ 版籍奉還ノ儀
・ 財政当局被免ノ懇願

 欧米差遣ト其ノ前後
・ 御勅論草案
・ 桑港着後ノ書信
・ 特命全権大使ノ使命
・ 使節委任ノ全権
・ 天皇陛下ノ期望預図ノ眼目
・ 造幣ニ関スル意見書

 参議兼工部卿時代
・ 台湾征討ノ不可
・ 地方官会議ノ勅語草案
・ 大阪会議ノ顛末
・ 御詔勅草案
・ 明治八年大詔草案
・ 士族救助ニ関スル私案
・ 警覗権限規定改正案
・ 西南戦役中ノ上奏書
・ 地方官会議議長ノ上奏書 草案

 内務卿時代ト琉球事件前後
・ 内務卿專任ノ事務
・ 外交上ノ電文案
・ 琉球処分案
・ 自由民権運動ニ闘スル上奏
・ 副島伯ニ闘スル書簡
・ 日支琉球事件交渉
・ ハインリッヒ親王ノ家鴨射撃事件
・ 華族ノ新制度ト教育振興
・ 琉球事件関係書簡下書
・ 教育ニ関スル上奏書
・ 琉球事件関係辨駁書草案
・ 御詔勅草案
・ 大隈重信ノ憲法案
・ 国会開設ノ詔勅

 憲法調査ノ爲メ再度ノ渡欧ト竹添事件当時
・ 裁判官及中央銀行其ノ他ニ関スル意見
・ 憲法調査ニ付意見書
・ スタイン博士招聘ノ儀
・ グナイストニ師事
・ 議会ト政府トノ開係
・ 憲法上国体ノ研究
・ 伯林ヨリノ書簡断片
・ 町村制ト行政裁判所制
・ 政党ノ将来ヲ憂フ
・ 條約改正ト委員ノ欧米遣
・ 論功行賞問題
・ 西巡日記
・ 竹添公使事件ノ顛末

 第一次内閣組織ト憲法制定当時
・ 内閣会議ト上奏
・ 教育総監部條例ノ御裁可
・ 條約改正ニ対スル苦心
・ 谷将軍ノ條約改正意見ヲ駁ス
・ 大隈重信ノ入閣
・ 海上旅行日記ノ一部
・ 帝国憲法ト英国主義
・ 貴族院令ノ制定ト腹案ノ一端

 枢密院議長就任ト大津事変当時
・ 大隈遭難当時ノ日記
・ 憲法発布上諭草案
・ 條約改正二於ケル伊藤伯ノ意見
・ 第二期議会当時ノ詔勅案
・ 大津事変
・ 皇族ト貴族院出席ノ可否
・ 軍部大臣ト文官制問題
・ 第二期議会後奉答書下書
・ 上奏文案
・ 内閣○固ナラサル原因
・ 総選挙ト政府当局ノ心得
・ 日記ノ一節
・ 條約改正臨時委員ノ資格

 第二次組閣ト日清戦争当時
・ 條約改正ニ関スル意見書草案
・ 再度ノ辞表捧呈
・ 上奏書
・ 条約改正二対スル意見
・ 対等條約締結詔勅草案ノ一部
・ 讃葡国公使提出畳書
・ 対清宣戦通告電報草案
・ 各政党首領御召ノ上奏文 草案
・ 日清戦争策戦意見書
・ 米国政府調停ノ謝絶
・ 韓国改革ノ要諦
・ 自励恭記
・ 対清談判ニ関スル方針
・ 李鴻章遭難ノ椿事
・ 休戦条約ニ関スル意見書草案
・ 日清休戦中ノ感想
・ 清国ノ台湾割譲ト島民ノ反抗
・ 露、独、仏干渉ト我対策
・ 三国干渉現出ノ所以
・ 三国干渉当時ノ詔勅草案八八 三国干渉ト露国ノ張要
・ 日清講和条約批准後ノ措置
・ 対議会政策方針書

 第三弐内閣時代
・ 内閣組織二就テノ覚書
・ 外交ノ事
・ 上奏文草案

 政友会組織ト北清事変当時
・ 大勲位正二位候爵奉還ノ上表
・ 日清戦後極東ノ形勢
・ 政友会組織ノ下相談
・ 枢密院顧問増員ノ事
・ 清国漫遊日記ノ一節
・ 対支意見ノ一端
・ 奉答文案
・ 日露協和ニ対スル私案
・ 清国事件ニ関シ大命ヲ奉シタル以來ノ事歴
・ 北清事変指揮官問題
・ 立憲政友会創立ノ端緒
・ 政友会組織趣意書
・ 上奏文草案

 第四次組閣ヨリ枢相拝任迄
・ 経済政策意見
・ 増税案ニ関スル電報草案
・ 増税案ト聖勅降下
・ 上奏文草稿
・ 貴族院改造ノ上奏文
・ 政友会内閣ノ辞職
・ 増税案ニ関シ貴族院ニ賜レル御詔勅草案
・ 内閣辞職ノ先例
・ 桂内閣ト政党トノ調停
・ 三月十五日元老内閣ノ大意
・ 内閣交渉ノ事項
・ 勅命ニ因り政友会ヲ去ル
・ 上奏文案
・ 橿相拝任当時ノ奉答文

 日麗戦役ト韓国統監時代
・ 露国二対スル決意
・ 日露断交直前ノ元老大臣会議
・ 日露交渉破裂ノ顛末
・ 韓国施設経営事項ノ條 学併対韓方策
・ 日露戦役中ニ於ケル苦心
・ 韓国統監就任ノ挨拶草案
・ 統監駐在二関スル御親書案
・ 朝鮮処理ニ開スル意見
・ 対韓政策電報草案
・ 海軍防備隊條例発布二関スル奉答案

伊藤博文のエッセンスが一冊に
  萩博物館特別学芸員 一坂 太郎
 今年は明治天皇が崩御してから百年。あらためて、政治指導者としての明治天皇の手腕が注目されている。列強がつぎつぎとアジア各地を侵食していた時代に、明治日本は猛スピードで近代化を進め、独立国として生き残ってゆく。
 その間のことは、功罪ともにいろいろと考えさせられる部分もあるが、ともかく「よくぞ、やったもんだ」との感慨を抱かざるをえない。

 明治天皇の絶大な信頼を得、数々の国家運営の青写真を描き、幾多の困難を克服しながら実現していったのが伊藤博文だ。伊藤がいなければ、日本の近代化はまた別の軌跡をたどっていたかもしれないと思わせるほど、巨大な政治家である。もちろん、伊藤の下で働いた有能なスタッフが在ればこそだが、かれらから上って来るものを取捨選択し、まとめて、私心を挟むことなく、リーダーとして判断を下していったのだ。これぞ、国家舵取のお手本である。

 私が特にその感を強くしたのは三年前、伊藤没後百年を記念し、萩博物館で行われた特別展「伊藤博文とその時代」の主査を務めた時だ。短期間に伊藤の遺品や史料をずいぶんたくさん見る機会を得たが、その中に勅書の下書きがいくつかあったのが印象的だった。伊藤も関係する議会で、ある揉め事が起こったさい、明治天皇が勅を下し解決するのだが、その下書きを伊藤自身が書いていたりするのは面白かった。伊藤こそ、明治天皇の「ゴーストライター」だと思った。

 ろくでもない政治家ばかり次から次へと出てくる、ちっとも美しくない二十一世紀のこの国において、伊藤の再評価が高まっているのは決して偶然ではあるまい。多くの国民が伊藤の再来を願っているのは、悪くない傾向だと思いたい。日本人は、まだまだこの人物から学ぶものがあったはずなのに(美化するという意味ではない)、戦後のある時期、なにを脅えたのか、みずからの手で葬り去ってしまったのだ。千円札の顔から消えて久しいし、半世紀続いたと自慢するNHKの大河ドラマも、いまだこの人物を正面から取り上げようとしない。幕末維新のドラマといえば、龍馬と新撰組の追っかけ合いっこのようなものばかりだ。実に、もったいない話ではないか。

 政治家としての伊藤を知るのに、なにかよいテキストはないかと尋ねられたら、私は今回マツノ書店から復刻される『滄浪閣残筆』(昭和十三年)をイチ押ししたい。滄浪閣とは伊藤の神奈川県大磯邸のことで、「滄浪閣主人」と署名した伊藤の書をよく見かける。伊藤はこの地を特に愛し、住民票も移していた。書名だけを見ると随想集のようでもあり、この点ずいぶんと損をしている名著だと思う。先日のマツノ書店の読者アンケートでも、他の書籍に比べて知名度は高くなかった。

 内容はといえば、明治元年から同四十年までの間に伊藤が書いた意見書を中心に、覚書、日記など百三十点が時系列で並べられ、それぞれに簡潔な解説が付く。編者は嗣子の伊藤博精、校訂者は平塚篤、やはり伊藤の史料集として忘れてはならない『伊藤博文秘録』(正・続、昭和四・五年)を作ったコンビだ。
 目次だけ見ても、圧倒される。ためしにいま、気になるキーワードだけ拾ってみても兵制確立、版籍奉還、特命全権大使、台湾征討、地方官会議、大阪会議、士族救助、西南戦役、琉球処分、自由民権運動、華族、国会開設、憲法調査、条約改正、大津事変、日清戦争、三国干渉、北清事変、政友会、日露戦役、韓国統監などなど、明治政治史の年表を見ているようである。

 これが、一人の政治家によって書かれたものであることも驚異だ。なぜ日清・日露戦争を行わねばならなかったのか、なぜ憲法を作らねばならなかったのか、なぜ朝鮮に手を出さねばならなかったのか、国際社会における当時の日本の言い分がちゃんと記されている。
 存命中から伊藤は好色漢や性豪のように言われた。そのイメージは今も伊藤像につきまとう。ただし本書を見ていると、伊藤に女性を追いかけまわすような時間が、果たしてどれ程あったか疑問が沸いてくる。これほどの激務の中で、そんなことは物理的に見ても不可能ではないのか。おそらく陽気な伊藤が一の話を十にして面白おかしく語り、それがさらに十倍、二十倍とどんどん増幅し、人口に膾炙していったのであろう。

 収められた史料は厳選された百三十点だから、いずれも重要であることは言うまでもない。やや王道からはずれるかもしれないが、私は「六四、内閣鞏固ナラサル原因」などが、特に面白いと思った。これは第二議会が朝野の猛攻を受けて明治二十四年十二月、解散したさい、少し政治から遠ざかっていた枢密院議長の伊藤が、十二カ条に分けて議会の問題点を書き出したものだ。
 「平生政治ノ方針一定セス」「浮説流言ヲ信シ、離間ニ陥ル」「公衆ニ対シ、特ニ議会ニ対シ、赤心ヲ表白セス」「人ヲ用ユル時勢ニ適セス」などは、いつの時代でも当てはまることだろう。「信ヲ裏門ニ措キ、探偵的ノ末時ヲ以テ事情ニ通達セリト為ス」「黒幕ノ後援ヲ恃ミ、却テ責任ニ重キヲ措カス」などは、なんでもかんでも裏から手をまわそうとする悪弊を厳しく戒めている。

 このように『滄浪閣残筆』は政治家伊藤というより、明治政治史のエッセンスがぎっしり詰まった一冊だ。中には、こんにちの日本に直接通じる部分も多々ある。本来なら本書は文庫のような手軽な装丁で、当たり前のように書店に並べられ、古典として読み継がれてもいいと思う。とくに歴史や政治・経済を学ぶ者、政治家などにとっては、座右に備えるべき文献である。ただし、いまのところ、それは実現していないので、今回のマツノ書店による復刻は快挙だ。ありきたりな言い方だが、多くの方々に読んでいただきたい。
(本書パンフレットより)

 『滄浪閣残筆』に就いて 
        蘇 峰 生
 明治の元勲の中で伊藤博文公ほど政局の中心点に久住した政治家はあるまい。概して言えば彼は明治天皇の御宇を終始一貫して国政の枢要なる中心にあり。偶々しばらくこれを離るることあるも、決してその圏外に逸脱するが如きことはなかった。されば彼の公生涯は、全く明治政史、殊に明治政府史と織り交わりて、ほとんど容易に区別しがたきものがある。

 世人あるいは伊藤公の磊落、真率の風度を見て、その平生の出処進退に就いても、自ずから後世に残すべき文献を留めざりしならんと思うものもあろう。けれどもそれは大いなる間違いだ。事実はその反対だ。
伊藤公には、木戸孝允、大久保利通の如き継続的な日記は無い。しかもその国家的大問題に関する意見、並びにその公人としての進止の要節に就いては、概ね自らこれを手記して、もって後日の証となすべきもの、納めてその遺筥の裡に存した。本書は則ちその手記の文書を、年代順に採録したるもの。
 本文を翻読するに、その中には記者が親しく公より読み聞かされしものもある。……例せば一〇三項「北清事変指揮官問題」の如き。一二三項「日録交渉破裂の顛末」の如き……重ね読み来りて、当時意気昂揚せる公の面目が、今なお眼前に彷彿する。
 就中伊藤公が、我が北清特派皇軍の総率権を、容易に外国将軍に付与したるを憤慨し「余は終宵眠る能わず、髪冠を衝く思い有り(明治三十三年)八月八日 夜二時、燈に挑みて尽くす 博文」の一節に至りて、今尚ほ其の声を聞くの心地す。

 本書は一百二十八項。明治初年より明治四十年に至る、凡そ四十年間、伊藤公を中心としての明治政史と言うも不可なし。而してそれが悉く皆な伊藤公自身の手記に出たるものなれば、仮令(たとえ)それが断簡にせよ、極めて貴重の文献と言わねばならぬ。而してその史的内容は、木戸、大久保両先輩の日記に比して、其の分量は少なるも、其の価値は、決して劣るべきものではあるまい。いわんや両先輩の日記は、明治十年内外に止まるも、これは殆ど明治天皇御宇の終局に達するに於いてをや。
(一坂太郎氏提供・新聞掲載記事ですが紙名は不明。転載に際し一部を現代用語にしました。)