白刃砲火の下をくぐり抜けた長州庶民が残した「実歴談」
維新戦役実歴談
 児玉如忠 編
 マツノ書店 復刻版 *原本は大正6年
   1994年刊行 A5判 上製函入 590頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『維新戦役実歴談』 目次
1 伏見鳥羽役(児玉恕忠)
2 東海道白河会津方面(杉山素輔)
3 伏見鳥羽方面(故伯爵林友幸)
4 東海道江戸方面(故男爵木梨精一郎)
5 越後方面(佐藤保介)
6 越後方面(宇野友治)
7 関東白河会津方面(山本楳治)
8 奥羽方面(藤山敬三)
9 越後方面(小島荒一)
10 伏見戦争並びに前後関係(松村源一)
11 函館役(児玉恕忠)
12 函館方面(賀屋義矩)
13 白河会津方面(斉藤太郎)
14 越後方面(道十六)
15 山陽東山白河会津方面(山田仙三)
16 越後秋田方面(白井胤良)
17 磐城平方面(大谷靖)
18 越後方面(増山作輔)
19 磐城平方面(男爵沖原光孚)
20 函館方面海軍(小県少太郎)
21 越後方面(林練作)
22 越後方面(故谷村小作)
23 伏見方面(子爵三浦梧楼)
24 備後東海道江戸白河会津方面(男爵有地品之允)
25 東山道関東白河方面(男爵梨羽時起)
26 東海道白河会津方面(河村正之)
27 函館方面の一部分に就て(梅地庸之允 林顕 江村忠精)
28 長薩関係及び越後戦争(公爵山県有朋)
付録@ 維新戦役長藩出兵年表・兵庫京阪方面・尾道及伊予松山方面・東海道方面・東山道方面・常州平潟方面・越後方面・奥羽方面・越後方面海軍動静・北海道方面
付録A 各方面戦闘略図 五枚



 数少ない防長庶民の維新体験記
     一坂太郎
 長州藩の維新史を調べていて、いつも残念に思うことがある。
 それは、功成り名遂げた元勲たちの回顧談はたくさん刊行されているのに、庶民のそれが意外と少ないことである。
 長州藩は、上は殿様から下は庶民に至るまで一致団結して幕府に立ち向かった、特異な藩である。志があれば「匹夫」の入隊も許すとうたった奇兵隊や諸隊はその典型であろう。
 西郷隆盛ですら「士族至上主義」の感覚を終生抜け出せなかったし、薩長と敵対した会津藩でも、戦ったのは武士階級だけであった。長州藩のように、庶民が直接維新にかかわることは少なかったのである。
 敗者となった幕府側には庶民から見た記録が多い。彰義隊士の孫である子母沢寛が、生き残りの関係者を訪ね歩いて書き上げた『戊辰物語』や『新選組始末記』は、最もよく知られるところであろう。
 それに反し、勝者の栄光にかざられた長州では、庶民レベルの回顧談は重視されなかったと思われる。有能な人材はすべて東京へ出て、閥をたどって軍・官に立身出世の道を歩もうとしていた当時の雰囲気を考えると「庶民の記録」など、望む方が無理というものだろうか。

 そういった意味で、このたび復刻される『維新戦役実歴談』は、長州庶民の維新体験談が豊富に収められた、まことに貴重な一冊といえよう。
 本書は大正六年十月十四日、靖国神社で催された、旧長州藩の「維新戦役戦没者五十年祭」で配布するために編纂、刊行されたものである。
 「語り手」として本書に登場する二十九名のうち、吉田祥朔編『増補 近世防長人名辞典』で事歴が確認できるのは、山県有朋ら九名に過ぎない。残り二十名は、人名辞典にも名を残さなかった無名の人々なのである。
 これらは、いずれも白刃砲火の下をくぐり抜けたものが残した「実歴談」だけに、迫力もあり、史料としての信愚性も高い。数ある防長維新史料を渉猟し尽くした研究者にとっても、新鮮で興味深い話の宝庫であろう。

 中でも東北に進撃したときの話が多い。一兵卒の視点なので、敵を目前にした最前線での感情の動きや、残酷な白兵戦の模様が手にとるように伝わってくる。穴を掘って敵の屍骸を百人ずつまとめて埋めた話。敵兵の死体から立派な刀や時計を奪った話……。
 奇兵隊に属していた者が、小倉戦争後、陣中で「一寸気に喰ぬことがあったので」石城山の第二奇兵隊に移って行き、それからは、「第一から行ったといふので、どんな規則を破っても小言の言ひ手がない」と、奇兵隊と第二奇兵隊の力関係を物語っている。こうした具体的な話は、他の諸隊関係史料にはあまり記録されていないようである。また、付録の年表も、類書がないほど祥細で、便利な資料である。
 庶民の側から見た歴史の究明が盛んな現在、本書の復刻はまことに時宜を得たものであり、喜ばしいことと思っている。
(本書パンフレットより)