江戸を生き、明治をつくった旧幕臣たちが先祖と自らの足跡をまとめた記録集
同方会誌 全10冊 付・別冊総目次
 同方会
 マツノ書店 復刻版
   2011年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) 総計 約5100頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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■ 『同方会誌』復刻に際して
 本書は明治29年から昭和16年にかけて刊行された本誌全65号を、全10巻にまとめて昭和52年に復刻された立体社版を再復刻するものである。再復刻に際しては、次のような改変をおこなった。
① 原本は「目次」に頁数が記載されていないため、各巻すべての頁に新しく「通しノンブル」(頁番号)を打ち、それを基に作成した「新目次」を各巻頭に掲載。さらに樋口雄彦氏の執筆による「主要執筆者紹介」及び「解説」を第十巻の巻末に新しく掲載した。
② 読者の使い勝手を考え、各巻の「新目次」および第十巻の「主要執筆者紹介」を一冊にまとめ「総目次」として別冊に付した。
③ 今回の販促用冊子に掲載した「推薦文」を第二、四、六、八巻末に転載した。
④ 原本各号の表紙は一部色刷りだが不統一につき、すべて墨一色で印刷した。


『同方会誌』収録記事一覧(抄)
【口 絵】
公爵徳川家達一家写真
沢太郎左衛門写真
佐久間貞一肖像画
武田成章写真
外山正一写真
徳川歴代将軍朱印
徳川慶喜写真
徳川家達・慶喜一家写真
田口卯吉写真
明治三九年四月同方会春季大会兼凱旋祝賀会記念写真
徳川慶久夫妻写真
徳川家正夫妻写真
中島三郎助写真
榎本武揚銅像写真
沼津兵学校記念碑写真
服部綾雄写真
阿部潜写真

【伝記・自伝・人物履歴】
三河屋幸三郎の伝(沢太郎左衛門)
堀織部正自殺始末(沢太郎左衛門)
福井光利氏経歴の終始(六十匁道人)
故沢太郎左衛門氏の略歴(丸毛利恒)
佐久間貞一君を悼む(島田三郎)
海舟勝伯(田口卯吉)
陸軍砲兵大佐武田成章君の伝(川口嘉)
故小菅知淵君小伝(早川省義)
故外山正一君小伝
嗚呼外山博士(もち月生)
故沼間守一氏(貫口生)
山田昌邦氏懐旧談(桂園)
清水赤城翁伝(武田信賢)
徳川慶喜公(島田三郎)
維新前後の経歴談(江原素六)
前将軍の御幼時(加藤木甕)
故法学博士田口卯吉君履歴(島田三郎)
福地源一郎氏の略伝及逸話
幕士松岡万の伝(大橋微笑)
船長福井光利君
傑士中島三郎助君
田安黄門宗武卿年譜(矢島隆教)
近藤勇の略伝並に墳墓(武田酔霞)
田口俊平先生伝(八木繁四郎)
服部綾雄君伝(石橋絢彦)
閣老水野出羽守忠友同忠成父子に就て(矢島隆教)
徳川家臣の服部家及蓑笠之助の事(石橋絢彦)
甘藷先生略伝(榊原萃軒)
敬斎先生五十年祭記事
羽倉簡堂及び同鋼三郎に就て
吹田鯛六君伝(石橋絢彦)
一橋家に於ける慶喜公猪飼正為
中村六三郎略伝(中村松太郎)
人見寧君略伝(磯野直諒)
山内堤雲翁自叙伝
佐久間象山先生令閨瑞枝夫人の話(目賀田逸子)
中根香亭先生の人物(小笠原長生)
林董伯自叙伝回顧録
書家戸川蓮仙(小野田亮正)
清川八郎・近藤勇と土方歳三(千葉弥一郎)
山内豊城翁自伝
赤松則良半生談
牧野原開墾の始祖中條景昭外二名に関する伝記追録(西山昌栄)

【幕末の政局・外交など】
幕府軍艦開陽丸の終始(沢太郎左衛門)
故武田成章氏三浦見聞志(武田英一)
合衆国政府の遣日使節記録
ペルリ渡来当時の実歴談(合原櫟道)
外国使臣の謁見(相陽散士)
江連翁の談片(貫口生)
田辺先生の談話(呉陽散士)
樺太島談判の概要(遠山生)
幕末封建小誌(山口挙直)
尾蠅欧行漫録(原一介)
新選組池田屋夜襲一件
武士の御用旅行(赤松範一)
佐久間象山先生死体の検視(岡野義之)
三条大橋の制札外し一件(石橋絢彦)
五大洲巡行記(山内堤雲)
遊撃隊の名簿に就て(西山昌栄)

【戊辰戦争】
彰義隊発起顛末(本多晋)
彰義隊戦争実歴鈔(丸毛利恒)
大鳥圭介君獄中日誌(丸毛利恒)
開陽丸に於ける勝安房守と榎 本和泉守(岳陽生)
戊辰上野戦争の日(まるいち)
戊辰伏見戦争談(宮内洞亭)
幕府瓦解の際僕の見聞誌(岡本昆石)
美加丸の形見(太田資行)
歩兵差図役頭取故森田貫輔君首級改葬の顛末(山内長人)
函館礟台止戦顛末記(並河一)
上野戦争中の悲劇談(田口倫光)
長藩製作の錦旗(石橋絢彦)
後の鏡(山内堤雲)
上野輪王寺宮を護衛し奉りし時の実況(疋田二郎)
日金山と哀史と其史蹟(浦井栄一)
彰義隊の思ひ出(鈴木経勲)

【教育・文化】
松本蘭疇翁談話(林若樹)
国学の中興と徳川氏(遠山淡哉)
旧幕の仏蘭西語学校(田島応親・ 福田重固)
和蘭留学生派遣に就て松本順先生の書牘(林若樹)
礼と楽(大久保一翁)
大鳥圭介翁と写真術(TK生)
蘭学談(加藤弘之)
如楓家訓(大鳥圭介)
日光廟の大修繕(大江新太郎)
沼津兵学校沿革(石橋絢彦)
川柳東照公御一代記(礫川老人)
静岡学校の沿革
沼津兵学校職員伝(石橋絢彦)
欧式海軍創設時代の追憶(赤松 則良)
聖堂学問所の素読吟味の実況(里犬子)
予が英学修業の道中(岡本昆石)
静岡藩静岡学問所職員同小学校掟書(石橋絢彦)
東京市内霊廟建築(大熊嘉邦)

【江戸時代一般】
幕府年中行事自歌合(北村季文)
徳川家八朔祝賀の起因(沢太郎左衛門)
御徒士物語(鈍我羅漢)
存誠斎雑録鈔(林洞海)
慶長年中江戸図考
評定所概記
御目付の威勢(桂園)
江都聞見録(丸雪)
御目付の道中(江連加賀守)
転馬の御朱印書(丸雪)
関ケ原合戦談(内藤耻叟)
鶏鳴旧跡志
水野越前守の尊王(遠山生)
維新前大阪城の結構(永井直好)
神君御消息文(建部元吉)
世のすがた
幕臣の与力(岡本昆石)
江戸町奉行と在職年数(淡哉)
幕臣の同心(岡本昆石)
東金御成に就て(太田資行)
封建時代の中間(岡本昆石)
御先手二番組御頭任免組屋敷移転之覚(岡本昆石)
徳川家康公とウィリヤム、アダムスとの関係(佐伯好郎)
閣老松平左近将監乗邑の免職に就て(矢島隆教)
楽翁公に対する誤解(平泉澄)
伝馬町の牢獄(石出帯刀)
御船手の話(向井彦之丞)
旧幕府金座の後日談大坪六二郎
江戸の発達史(安藤直方)
徳川政府の失業救済機関(森貞二郎)
八王子千人衆(天野佐一郎)
茶道御数寄屋坊主(三田村鳶魚)

【江戸の世相・民情】
江戸の火災
飛花落葉(阿羅礼)
端午の節(土館長言)
江戸詞(土館長言)
山ノ手談話会の談話記録(林若樹)
江戸市中の時の鐘に就いて(土館長言)
詞遣ひ(岡本昆石)
江戸時代落書類纂(矢島隆教)
江戸時代の葬式(岡本昆石)
昔の物価(三河武士)
江戸時代のタナゴ釣浦島太郎冠者
江戸時代童謡童話(岡本昆石)

【時 事】
海戦実況談(小笠原長生)
軍艦の発達(三好晋六郎)
南洋事情(田島応親)
独逸之田舎譚(本多静六)
清国福建省見聞録(永井直章)
千島叢談(郡司成忠)
林前清国公使談話(林董)
巴里万国博覧会に就て(河原徳立)
韓国王城拝観の記(吉田勝之)
清国内地の旅行(吉田増次郎)
井伊直弼の銅像に就て(島田三郎)
井伊大老銅像除幕式所感(大隈重信)
渡欧回想談(大鳥富士太郎)
支那とは如何なる国か吉田増次郎
事変下の北京(小林量造)

【漢詩・漢文・和歌・俳句等の掲載者】
戸川残花、林若樹、山路愛山、鈴木重嶺、栗本鋤雲、田辺太一、杉浦梅譚、向山黄村、岩瀬忠震、勝海舟、何礼之、木村芥舟、吉田竹里、乙骨太郎乙、平井参、川口嘉、依田学海、中根香亭、平山成信、宮本小一、岡崎壮太郎、松平康国、三島中洲、豊島住作、草間時福ほか、



  『同方会誌』の寄稿者たち
   国立歴史民俗博物館 樋口雄彦
 誌上では、特定の史観に対する批判が吐露され、史実をめぐっての論争が引き起こされたこともあった。歴史観に関しては、以下のような例を拾い出せる。

 田辺太一が、史談会(明治22年島津・毛利家などを中心に設立された半官半民的維新史料調査機関)に出席した諸藩出身者が口をそろえて自分の藩は勤王だったと主張し、真実の歴史を明らかにしようとしないことを批判したこと(第7号)、本多晋が、井上馨邸の門に芝増上寺あたりから流出したらしい葵紋の木彫がはめ込まれていることを「奇態」として軽蔑したこと、同じく本多が、日光東照宮は徳川氏の諸大名に対する強権によって建設されたものだと発言した佐佐木高行に対し、王道と覇道との違いを知らぬ浅薄な理解であると反論したこと(第8号)、戊辰に際し徳川家を恭順に導いた勝海舟に対し、主戦派小栗上野介にこそ歴史的「正義」と「男子らしさ」があった、海舟を「怯人懦夫の好標本」と断罪する蜷川新の主張(第11号、第25号)、彰義隊の聖地上野に西郷隆盛銅像を建設することに対する批判と反批判(第10号・第11号)、井伊直弼の銅像建設をめぐる反対派・妨害派への反駁(第33号)等々である。

 純粋な史実に関する論争としては、御徒士の実態を知らない上級旗本出身の戸川残花の論考に対し、それを詳しく訂正・補足した投稿(第7号)があった。
 また、中下級旗本の内実について無理解な戸川の論考に対する矢島隆教の批判(第44号)、それに対する戸川の弁明(第45号)、千石以下を見下したような戸川の「広言」に対し、維新時には高禄の旗本にこそ「卑怯者臆病者」が多かったと喝破する岡本昆石らのさらなる攻撃(第46号、第47号)、矢島・岡本対戸川の論争について、戸川の不勉強は間違いないが、「喧嘩」のし方では二人の負けであるとする意見(第四八号)といった応酬もあった。気分を害したのであろう、この一連の流れの中で戸川は退会している。

 このように、史実をめぐるものではあっても、彼らの言動が感情に左右されたようにみえるのは、それが本当の意味でのアカデミックな論争ではなかったことを示しているのかもしれない。
とはいえ、現代の我々からすれば、それが『同方会誌』とそこに集った人々の良さであり、特徴でもあるのだが。
今日、我々が『同方会誌』を手にとる動機の多くは、歴史研究のための文献・史料としての価値がそこに含まれているからであり、戦後二回にわたり復刻版が刊行されるに至った理由もそこにある。

 しかし、当時それを編集・発行していた当事者にとって、それは歴史研究のためだけのものではなく、あくまで会員の相互交流のための道具であった。そのため、会報や彙報の欄は重要な情報源だったし、時事に関する論説なども知識・教養に寄与するものだったろう。漢詩や和歌を掲載した欄も、愛好者が自らの作品を多くの人々に見てもらうための共有スペースになっていた。多くの会員を擁した規模の大きな団体、旧交会と葵会に機関誌はなく、旧幕臣たちにとって、『同方会誌』こそが、唯一自分たちが拠って立つべき雑誌であった。

 読み物としてのメインとなったのは、講演録や寄稿論文、史料紹介などであり、時には批判はあったものの、その多くが江戸時代や幕末、明治初年などの事物、事件、人物などに題材をとっていたことも事実である。
そして、会員・賛成員自らが記し、語った自伝・回想録なども歴史の証言としての意味を持った。三十年以上の時を経ることで、幕末維新は歴史の対象となったのである。常連たちが寄せた記事の多くも歴史にまつわるものがほとんどであった。
 しかし、現代の我々には、江戸時代や幕末維新期は当然として、明治・大正・昭和戦前期もすでに歴史となって久しく、『同方会誌』の内容は丸ごと歴史資料たりうる。『同方会誌』の世界には、広範な利用法、多様な可能性が包含されているといえる。
(本書復刻版、第十巻巻末に20頁にわたって掲載される充実した解説「同方会誌の世界」より一部抜粋して転載)