秋山好古から渋沢栄一、児玉花外、新渡戸稲造に至る九十余名による「十三回忌寄稿録」に
秘書の書いた台湾総督時代の逸話集を加え、本邦初復刻
児玉将軍十三回忌寄稿録 附・児玉藤園将軍逸事
 吉武 源五郎/横澤 次郎
 マツノ書店 復刻版
   2010年刊行 A5判 上製函入 566頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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  側近・縁故者が語る児玉源太郎の人物像
       戦史研究家 長南 政義
 「名利如糞土」(名利は糞土の如し)。児玉の旧知である乃木希典が児玉に送った漢詩の一節である。児玉の人間性を象徴するのにこれほど適切な評言はないであろう。
 有名な人物であるにも拘らず、本人の日誌・書簡といった一次史料や、本人の手元に残るはずの関係者からの来簡・職務上の書類の残存量が少なく、出典の曖昧なエピソードのみが流布されて人物像が形成されている人物に、児玉源太郎がいる。

 児玉の三男である陸軍中将児玉友雄は、児玉急逝当時、「父の処には各種の機密書類があるという見込みで、後藤新平氏を主体として参謀本部(田中義一ら)陸軍省(寺内正毅ら)の上役が家宅捜査をして書類を全部参謀本部へ持って行った」と記しているが、この時押収された機密書類は、残念なことに、現在、防衛研究所や国会図書館憲政資料室に所蔵されていない。

 児玉の場合、日誌や書簡といった一次史料が纏まった形で残されていないばかりではなく、意外にも正伝といえるような伝記が本人の没後に編纂されなかったことも、根拠が怪しいエピソードの類に頼った人物像が描かれてきた一因であろう。さらに、司馬遼太郎が『坂の上の雲』の中で描写した、明朗かつ裁断流るるが如しといった児玉の人物像に基づいて確立された児玉人気の高さも、「この人ならばあり得る」ということで、児玉の実像と隔たりがある虚像の形成に影響を与えていると考えられる。

 児玉に関する伝記・評伝の類は、児玉人気に比例した形で多数存在するが、史料として利用可能な書籍は、森山守次『児玉大将伝』(星野錫 明治四十一年)、宿利重一『児玉源太郎』(国際日本協会、昭和十八年)や児玉源太郎述『熊本籠城談』(有朋堂 明治三十三年)のみといってよく、『坂の上の雲』をはじめとする児玉を描いた多くの小説・評伝が宿利の著作をタネ本としているといっていいであろう。

 ところで、今回マツノ書店から復刻される、吉武源五郎編『児玉将軍十三回忌寄稿録』(原題『児玉藤園将軍』拓殖新報社 大正七年)は、児玉の十三回忌を記念して出版された本で、児玉と懇意であった寺内正毅や、日露戦役に際し満洲軍総司令部において児玉と寝食を共にしつつ作戦立案に鞅掌した田中義一、その他、児玉と近い関係にあったり部下として指導を受けたりした各界からの人士および縁故者約九十名からの談話を蒐集し編集した本で、児玉源太郎という人物の実像を知る上で貴重な史料であり、本書の頁をめくるたびに、今にも児玉の息遣いが聞こえてきそうな好著である。

 編者の吉武は、本書以外にも、『児玉大神を祭る』(出版社不明 一九二一年)『児玉神社献詠歌集』(拓殖新報社 一九三九年)『南洋南支写真帖』(拓殖新報社 一九一六年)といった本を執筆した人物である。吉武は、児玉の十三回忌に際して、児玉の「精神徳風を新に記念せんが為め」に本書を編集したというが、本書を一読した人なら、この目的が十分に達せられていると感じるであろう。

 本書には多数の写真が掲載されており、特に、日露戦役開戦の前年、明治三十六年に参謀次長田村怡与造が急死し、後任人事が難航した際に、当時内務大臣兼台湾総督であった児玉が、降格人事であることを承知の上で後任の参謀次長になることを引き受けた際に乃木が児玉に贈ったとされ、宿利重一『児玉源太郎』でも引用されている漢詩の一節「名利如糞土」の現物の写真も同書に掲載されている。児玉を描いた小説で必ずといっても過言でないほど頻繁に引用されるこのエピソードの真実性が証明されたわけである。

 さらに、習志野で実施された対抗演習で、児玉が巧妙な作戦で乃木希典率いる第一聯隊を撃破し、乃木が「到頭児玉にやられた」と洪然大笑したという有名な挿話も、旅順攻略戦で盤龍山P堡塁奪取の戦功で勇名をはせた一戸兵衛の口から語られている。
 「どうも陸軍の者は、常識が欠乏して居って困る」と語り、官制上、軍人を使わなくてもよい仕事には、多くの場合、軍人でない人物を使用した、という陸軍中将堀内文次郎の談話や、旅順攻略戦をめぐる児玉に関する「世に知られて居ない」秘話を開陳した上で、児玉「将軍の死を早めたのは、結局旅順の戦が因である」と指摘した、南満洲鉄道株式会社秘書役上田恭助(日露戦役中児玉の傍で仕えた人物)による寄稿も、本書でしか読むことのできない貴重な挿話である。

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 今回の復刻に際して、本書の付録として、横澤次郎『児玉藤園将軍逸事』(新高堂書店、大正三年)が収録されている。
 著者の横澤は、児玉に親炙すること二十年。その内の九年間を秘書官として児玉に仕えた人物であり、児玉の左右に親しく奉侍した関係で、「(児玉)将軍在世の小行偉蹟、深く印象するもの尠からず」と自ら述べている。
 横澤が本書を執筆したきっかけは、職務上の過誤により囹圄の人となり、獄窓寂寞の日々を送る中で、「(児玉)将軍の英姿は毎に眼前に髣髴たり、轉た往事を回想して感興限りなし」といった感情を抱いたことにあった。そして、横沢は、獄中で児玉の逸事を記憶に刻み、出獄後にそれらを記述して一書と為し、自身の日誌により年月日を訂正し、本書を完成させたという。

 本書は、児玉の台湾総督就任から始まり、紙幅の殆どを台湾総督時代の児玉を描くことに費やしている。児玉に仕えた時代に、「将軍の涙を見たことが前後三回ある。而して前後三回とも、何れも所謂公憤の余りに迸った熱涙であった」と回想するほどの横澤の手による伝記だけに、どの頁からも「多情多涙の熱血漢」と評された児玉の横顔が伺える好著であり、中でも、明治三十三年、義和団事件勃発当時、大阪商船会社が台中丸を海軍省御用船とする決定を下したことに対し、児玉が台湾統治上策の得たものではないとして癇癪玉を破裂させ、大阪商船会社社長の中橋徳五郎に電話をかけ、「僕は児玉だ、海軍省の強制命令だから致方ないといふのか、そんな根性なら正宗の業物を引抜くからそのつもりで居たが能からう」と、海軍省の我儘と商人の強欲さに対して激怒するシーンは、児玉の面目躍如といえ、本書の目玉の一つである。

 史料価値が高い『児玉将軍十三回忌寄稿録』(原題『児玉藤園将軍』)・『児玉藤園将軍逸事』であるが、両書共に、これまで、児玉を主人公とする小説や評伝で使用されたことが少なかった。その理由は、両書がともに、稀覯本中の稀覯本であることに存在する。『児玉将軍十三回忌寄稿録』の場合、古書店でもほとんど流通せず、従って入手困難な上、本書を所蔵している図書館が、国会図書館、国際日本文化研究センター、九州大学付属図書館など少数しか存在せず閲覧にも不便なため、本書の存在があまり知られていなかった点にある。『児玉藤園将軍逸事』は、国会図書館にすら所蔵されておらず、国内の大学図書館で本書を所蔵する図書館は、四館程度であり、古書店の店頭に並ぶことも殆んどない。今回マツノ書店が復刻されるのを機会として、本書を繙かれて、談話者の「生の声」から、児玉の実像に迫って見られてはいかがだろうか。
(本書パンフレットより)