幕末之防長、全編是活劇
伊藤公実録
 中原 邦平
 マツノ書店 復刻版 *原本は明治43年
   1997年刊行 A5判 上製 函入 674頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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 『伊藤公実録』 目次
第1 家系出生及幼年時代
第2 出身及来原良蔵との関係
第3 松陰門下の公
第4 桂小五郎随従時代
第5 形勢の激変と同志の活動
第6 藩論一変と来原良蔵の自殺
第7 彦根探偵と壮士的活動
第8 洋行
第9 長州の攘夷と雪冤運動
第10 英国公使との交渉と帰藩
第11 開国論の主張と姫島の決答
第12 復命後の境遇と京師変動
第13 連合艦隊の来襲と止戦條約
第14 修交使節の横浜行
第15 長州征伐と藩論の瓜分
第16 正俗両党の戦
第17 洋行の中止と馬関開港論
第18 薩摩連合と銃艦購入
第19 薩摩と英佛
第20 四境戦争当時の行動
第21 薩長英の修交
第22 長州処分と討幕の計画
第23 三藩の出師と討幕の密勅
第24 王政復古の大号令と長兵の入京
第25 討幕の師と外交
第26 版籍奉還と廃藩置県
第17 台閣閲歴

復刻に際して
 この九月(平成9年)、伊藤博文の生誕地、山口県熊毛郡大和町に「伊藤公資料館」が設立されるので、それを記念して伊藤博文関係の史料を復刻することになりました。
 数ある関係書の中から厳選した二冊は「政治家でなく、家庭人として」その人間性を深く浮き彫りにする、末松謙澄の『孝子伊藤公』、そして「維新後でなく、幕末」を駆け抜けた志士・伊藤春輔、波乱の青春を描く、中原邦平の『伊藤公実録』です。
 生い立ち、史観、手法など、あらゆる面で対極にある二人の歴史家が、全く別の方向から日本近代史の巨人にライトを当てるさまは見事です。
 『伊藤公実録』は、明治維新までの志士の時代だけを扱っている点では、三年前に小社の復刻した『井上伯伝』と同じですが、両書の内容はほとんどダブっていません。
 『伊藤公実録』も『孝子伊藤公』も、明治四十三〜四十四年に刊行されて以来、一度も復刻されておらず、この二十年間、小社の古書目録にも登場したことのない、希観本中の希観本です。
 百年近くの歳月を耐え、今なお光彩を放つ第一級の史料を、これからさらに百年後まで伝えていく「三度貼りの重厚な製本」でお楽しみ下さい。


 『伊藤公実録』〜「聞き書き」で再生する生きた人物誌
    一坂 太郎
 伊藤博文の出生地である山口県熊毛郡大和町束荷に今秋、伊藤博文記念館がオープンすることになった。ついては、これを記念して伊藤に関する文献をひとつ復刻出版したいのだが、何が良いだろうか……。
 マツノ書店の松村久さんから、こんな相談を受けた私は、迷うことなく中原邦平『伊藤公実録』(明治四十三年)と、末松謙澄著『孝子伊藤公』(明治四十四年)の二冊を挙げた。そして、どうせ復刻するのなら、ぜひ二冊一緒に出してはどうかとも言った。両書とも未だ一度も復刻されていないし、所収されている書簡や談話などが、今日なお高い史料的価値を持ち続けているはずだから、記念館オープンを機に、再び世に普及させる意義は大いにあると、私は考えたのだ。
 それに中原邦平と末松謙澄という、史観の違いから対立を重ね、火花を散らし続けた公爵毛利家編纂所の両巨頭が、ほぼ同時期に「伊藤博文」という同じ主題を、どの様に扱ったかを読み比べてみるのは、興味深いことではないか。二冊同時に復刻することを私が強く望んだのも、まずここに理由がある。
 かくして私の希望はかなえられ、『伊藤公実録』『孝子伊藤公』の同時復刻がここに実現したのである。『伊藤公実録』の方の著者中原邦平は嘉永五年(1852)、現在の山口県大島郡久賀町に生まれた。慶応二年(1866)、十四歳の年には志願して長州軍に身を投じ、「四境戦争」で攻め寄せた幕府征長軍と戦っている。つまり中原自身、維新動乱の体験者であった。 そして明治四年には秋良敦之助に随って上京し、宣教師ニコライに就いてロシア語を修め、また司法省法律学校に学んだ。そして明治二十一年、毛利家編輯所に入り、以来三十余年、防長の維新史編纂に従事。晩年には文部省維新史料編纂会常任委員も務め、大正十年三月三日、六十八歳で没した。
 幕末の長州藩に在り、もろに維新の嵐を体験した中原は、「維新の歴史に操まれた人たちの燃焼や苦渋をも歴史として残したかった」(中原雄太郎『想い出』)という。そういう姿勢で、時には情感たっぷりの歴史書を編んだ。

 一方、ヨーロッパで近代的な歴史編纂の方法論を学んで来た末松は全く正反対だった。冷酷なまでに感情を混じえず、史料から浮かび上がる史実のみを淡々と記録してゆくことに徹した。
 今回復刻される末松の『孝子伊藤公』が、その好い例である。末松は伊藤の娘婿という立場にありながら、私的な感情を一切押し殺し、学者として伊藤の史料を収集、編纂することに努めたことが、うかがえる。

 こうした末松の姿勢は、中原邦平には理解し難いものがあったようだ。血の通わない歴史として映ったのかもしれない。とにかく視座が違うのである。それに末松謙澄は幕末の頃、長州藩と対立した小倉藩領の出身だ。中原としては旧藩意識が頭をもたげたとしても不思議はない。さらに末松を支持する伊藤と、中原を支持する井上馨の政界での対立という要素まで絡まって、二人の関係は、ますます複雑なものになっていった。
  『伊藤公実録』最大の特徴は、幕末期の志士活動に焦点がしぼられていることである。明治の元勲、政治家としての伊藤の姿は、最後の章に、「略年譜」として申し訳程度に紹介されているに過ぎない。ここに本書のオリジナリティが存在する。
 中原の編む維新史の魅力は、なんといっても当事者やあるいは関係者から直接取材した談話がふんだんに盛り込まれていることである。この点、読んでいて実に面白い。中原の筆はつねに踊っていて、講談を読んでるような錯覚におちいることすらある。
 かつて『伊藤公実録』を読んだ私が、最も興味をおぼえたのは、一五六頁以下の、「幕府の隠密宇野東桜」を、高杉晋作や伊藤博文、白井小助らが桜田の藩邸に連れ込んで、なぶり殺しにしたという逸話である。中原はこの逸話を、白井や伊藤から直接、取材したという。 ところが不思議なことに、この逸話は、その後書かれた維新史の上からは、消えてしまう。大正五年は高杉晋作(東行)の五十年祭で、出版界でもちょっとしたブームが起こり、村田峰次郎『高杉晋作』(大正三年)中原邦平「東行先生略伝」(『東行先生遺文』所収、大正五年)、横山健堂『高杉晋作』(大正五年)等、次々と同郷人の手になる晋作伝が発表された。 しかし、これら一連の晋作伝記には、宇野暗殺事件が全く出てこない。どう見ても晋作のイメージダウンにつながる事件だから、顕彰を主目的とする伝記では触れなかったのかもしれない。だから最近では、晋作は柳生新蔭流の達人でありながら、生涯ひとりも人を斬らなかったという評価まで出来上がっている。
 だが、私が調べたところによれば、晋作は「観光録」と題した自筆のメモ帳の中に「宇野八郎(東桜)斬姦」という意味深な文字を残している。これが『伊藤公実録』に所収された白井や伊藤の談話と符節する。文献史料からはよく見えない部分を、談話が見せてくれたわけだ。私はこれを題材として「晋作の暗殺メモ」(拙著『高杉晋作覚え書』所収)という短い文章を書いたことがある。

 関係者の談話というのは、史料として扱う場合には、よほど慎重な態度が必要であることは言うまでもない。しかし先の例で見たように、文献史料を補うものとして、活用することも可能だ。『井上伯伝』(明治四十年)『伊藤公実録』『訂正補修 忠正公勤王事績』(明治四十四年)等、中原邦平が編んだ維新史の中には、まだまだ陽の目を浴びていない、元勲たちの貴重な談話が盛り込まれているように思う。

 現代の研究者たちは、時代の先端を歩き過ぎて不遇だった末松に対し、同情的だ。研究、評価もある程度進んでいる。しかし、その対極の視座から維新史を構築していった中原邦平という史家の仕事に対しても、功罪含めた、きちんとした評価が与えられるべきである。そういう時代が来ていると思うのは、私だけではあるまい。
(本書パンフレットより)