桂小五郎(木戸孝允)波瀾の生涯を集大成
松陰先生交遊録
福本義亮著
B6判函入・294頁

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678名の松陰先生遣文人名録
萩郷士文化研究会会長
萩松陰神社総代
田中助一
吉田松陰は若くして逝去した人であるが、多くの人と開係があったので、松陰のことをよく知ろうと思えば、その関係人物のことを知っておく必要がある。
その意味で山口県教育会が『吉田松陰全集』(全十巻)を岩渡書店より刊行した時には、昭和11年4月に刊行したその第十巻の中に「関係人物略伝」が玖村敏雄委員によって書かれて居り、非常に良い参考資科になっている。そのとき玖村委員が執筆の参考に供された諸書の中に、福本義亮(号椿水)氏の著わされた『松陰先生交友録』と、『吉田松陰の殉国教育』がある。
『松陰先生交友録』は、昭和3年10月25日に、神戸市の惜春山荘から刊行された、四六判仮綴270頁の本であり、名著『吉田松陰』の著者徳富蘇峰氏が題字を揮毫している。情春山荘は福本氏の家であるから、この本は自費出版と思われるが、間もなく無くなり、今日では希覯本となっている。
福本氏は明治20年(1887)3月15日に山口県阿武郡椿郷束分村(現萩市椿東)に生まれた。即ち吉田松陰と同郷の後輩で、小学校及ぴ中学校で松陰の事蹟を知った。萩中学校より束京外国語学校佛蘭西語科に人り、卒業後警察官となった。神戸市水上警察署長を最後として実業界に入られ、神戸市商業会議所専務埋事になられた。多忙の中にも漢詩を作ったり、裏千家流の茶道を学んだり、郷土資科の蒐集にはげまれて20数冊もの著書を出版され、昭和37年11月25日に数え年77歳で逝去された。『松陰先生交友録』の内容は、その几例に福本氏自身が次のように書いて居られる。

本書仮称して松陰先生交友録と謂ふ。然れども本書執筆の動機は、既に序文に於いて記述せる如く、松陰先生を中心としてその周辺に来往せる諸人物を精研網羅せんとするにあれば、単に師友関係者のみならず、門生其の他先生の文献中に見えたる諸人物を随読随集せるものにして、寧ろ松陰先生遣文人名録とも謂ふべきものなり。