『防長風土注進案』と並ぶ防長二大地誌
防長地下上申 全4巻
 山口県地方史学会編
 マツノ書店 復刻版
   1978年刊行 A5判 上製函入 総計 2850頁 内容見本(第2巻)PDF
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 防長全域の村明細帳

   山口県地方史学会副会長 石川卓美
 『地下上申』は防長両国諸郡の萩本藩領はもとより、各支藩領もこめて、各村落から萩藩府の絵図方頭人・井上武兵衛宛に上申した村勢概要、いわゆる村明細書である。
 各村の庄屋が奥書・年月日を入れ、畔頭および給庄屋(給領地のある場合)が連判したものであるが、上申の年月は一定でなく、代官の管区、あるいは支藩領ならば支藩によってほぼ一致する程度で、全部にわたると享保12年から宝暦3年にかけて、前後27年の間に上申されたものである。原本の形態は、半紙をはり継いで巻紙仕立てにした用紙に記入し、長尺のものを半紙二つ折り程度に折リ重ね、その一端をこよりで綴じ、一端をめくるような形にしたもので、冊子仕立てのものはわずかである。原本は山口県文書館に所蔵されている。

 本書の全篇を詳細に検討した結果を結論的に言えば、記載内容は要項を列挙するにとどまり、文章記述の部分は少ないが、各村落のほぼ同一年代の村勢を知ることのできる文献で、幕末の天保年間に記録された萩本藩領の『風土注進案』に先行し、その原型とも言うべきものである。支藩等に類例を求めると、岩国領の享保年間の『村記』、長府藩の安政ごろの『村浦明細書』の二者であろう。

 各村上申書の終わりにある奥書の記述によると、藩府から一定の案書(要項)を示して上申を求めたことがわかる。しかし、案書がどんなものであったか、本書に関係ありそうな令文や覚書にも接し得ないから、知るすべもない。上申の標題も一定したものでなく、各村まちまちであるが、要約すると、@石高その他 A由来 B境目書が大体において共通し、内容もこれに従うものである。さらに注目すべきは、村絵図が付属することである。そして上申の宛名は支藩領も含め、各村いずれも萩本藩領の絵図方頭人・井上武兵衛になっている。
 本書が藩府に提出された後、藩府の民政資料として重用されたはずであるが、全篇をどう呼称したか明らかでない。しかし、維新後、山口県に引き継がれ、明治十年代、内務省修史局の指令による皇国地誌編修に関連して、本書の原本を清書して96冊に編冊し、綜合標題を『地下上申』とした。爾来、本書は地下上申の名で広く学界にも知られたから、公刊の本書にもこの名称を用いた。
 @の石高等は、田畠および御蔵入・給領の石高の内訳をはじめとして、戸数と農民階層の本軒・半軒・門男・無縁の内訳、男女別人数、牛馬数、村内の小村小名、御米蔵、一里塚、高札場、河川、溜池、井手、船数、御立山、社寺堂庵、古跡、萩および隣村への里程などである。代官の管区である宰判によって記述に精粗の差があり、支藩によっても同様である。
 Aの由来は、村内の地名や古跡・古城趾などについての伝承を簡単に記述したものである。後年の『風土注進案』にも類似の記述がある。
 Bの境目書は、各村の周囲、すなわち隣村との境界を、隣村の庄屋・畔頭などの立会のうえで順々に記述したもので、付属の村絵図と対照すべきものである。村(大部分が現今の大字)の境界で文章的に記述されたものは、これが唯一無二の文献である。
【本書「解題」より抜粋】