利通の精談逸話百余を項目別に集めた「外伝」
 甲東逸話
 勝田 孫弥
 マツノ書店 復刻版 *原本は昭和3年
   2004年刊行 A5判 上製函入 327頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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 甲東の姿を印象深く描写
    作 家  桐野 作人
「甲東」とはいうまでもなく、維新三傑の一人、大久保利通の雅号である。鹿児島城下を流れる甲突川の東べりにある加治屋町が大久保の揺藍の地だったことにちなんでいる。
 本書は、その雅号を冠しているだけに、他の正統的な伝記や概説書の体系的な叙述とは趣が異なり、甲東の人となりや素顔を印象深く描写することに重点が置かれている。甲東をよく知る人々の証言を交えながら、平易な文章で綴られており親しみやすい。

 著者勝田孫弥は甲東と同じ薩摩の人で、大著『大久保利通伝』を著したことで知られ、実証的な甲東研究の先鞭をつけた人である。勝田は甲東の「清談逸話」を永年収集していたが、本書はその五十年祭を記念して上梓したものである。
 私はだいぶ前に本書を読んだが、非常に印象的で記憶に残っているエピソードがある。それは内務省が創設された頃で、甲東が朝出仕し廊下にその靴音が響いただけで、官人たちの雑談や笑い声などがぴたりと止み、省内が水を打ったように静かになったという一節である。甲東の威厳と統制力を示して面目躍如たるものがある。もっとも、このようなエピソードは一般には親しまれにくいし、事実、甲東に対しては「冷徹」「官僚主義の権化」「有司専制」という非難が浴びせられた。
 ところが、本書を読めば、そのような非難は表面的であることがよくわかる。たとえば、旧幕臣で甲東を「冷血」と評し、相性が合わないことを公言していた福地桜痴さえ甲東の馨咳に接してのち、「政治家としては最上の冷血たるに似ず、個人としては、懇切なる温血に富んでゐられた」と証言する。また自由民権運動の理論家、中江兆民が若い頃、甲東の馬車に直訴嘆願して洋行の願いを叶えられ、甲東が国家のために広く人材を求めていたとして感動を隠していない。甲東に兄事した大隈重信も甲東の偉大さは「藩閥的偏見に超脱してゐた点」にあったと強調している。

 今回この拙文を書くにあたり再読してみて、改めて気づかされた点があった。甲東の内務卿時代の部下だった渡辺国武(のち大蔵大臣)が甲東の生涯を二つの段階に分けて論じた部分である。維新にその画期を求めるのがふつうだと思うが、渡辺が岩倉使節団随行をもって前後に分けていたことに、思わずハッとしたのである。やはり欧米視察が甲東の国家観や経編に重大な影響を与えたのだと感じさせられた。ほかにも、甲東の意外な一面をうかがえる逸話を二つ挙げておきたい。西南戦争の渦中、折から飢饉に苦しむ朝鮮国が支援を要請してきたとき、要路の多くが艦船はすべて軍需に徴用して余裕がないと反対するなか、甲東は大倉喜八郎に命じて瓊浦丸を調達させ、米を満載して釜一山に運んだという。また甲東は狩猟を好んだ。閑暇を見つけては川村純義・吉井友実・西郷従道らと猟銃を担いで近傍の山に入った。西郷南洲が狩猟を趣味としたことは人口に膾炙しているが、甲東もその点では似ていたといえる。
 『甲東逸話』の復刻を喜ぶと共に『大久保利通伝』と併読されることをお勧めしたい。
(本書パンフレットより)