伯爵・井上馨でなく志士・井上聞多の伝記として、また高杉晋作・久坂玄瑞
・坂本龍馬など幕末の志士たちの行動と実態を知る上でも不可欠の文献。
井上伯伝 上中下 3冊
 中原 邦平
 マツノ書店 復刻版
   1994年刊行 A5判 上製函入 計2227頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
    ※ 価格・在庫状況につきましてはHPよりご確認ください。
マツノ書店ホームページへ



▼本書は、中原邦平の代表的著作である。
▼毛利家史料編纂所の主幹を長くつとめ、明治期の山口県を代表する修史家として知られる中原邦平は、元老・井上馨から聞き出した体験談を関係史料で補筆の上、『井上伯伝』と題して明治四十年、一千部を刊行した。
▼本書の記述は幕末迄で終わっており、その主人公は「政財界癒着の元祖、伯爵・井上馨」ではなく、彼の前半生「疾風怒濤の時代を命を的に駆け抜けた、志士・井上聞多」である。本書は単なる伝記ではなく、史料に語らせた「幕末における長州藩活躍史」として、また最高の生き証人の語る明治維新のエッセンスとして、非常によくまとめられている。
▼明治維新の立役者の一人が、これほど多くを語った史料は他にない。それだけでも類を見ないものであるが、本書にはまた高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文ほかの、志士とよばれた人たちの生活・行動・実態が、彼らと生死を共にした者の目で、微細にわたって描かれている。
▼古川薫氏や司馬遼太郎氏らの作家も本書からよく引用しており、後世流布した数女の維新挿話も本書を出典とするものが多く、維新エピソードの宝庫といえよう。
▼『防長回天史』が時代背景など細評を詳細に探っているのに対し、この『井上伯伝』は人物の動きを通して維新大業の核心に迫っている。周知の通り『防長回天史』は、その成立段階における伊藤・井上の対立を反映して、井上関係の記述が極端に少ないため、本書はその欠を補うという意義も大きい。本書と『防長回天史』の記述が重なる箇所は少ない。
▼「下巻」に収められた六五〇ぺージに及ぶ書簡集も目玉である。写真石判印刷でほぼ原寸大に再現された志士たちの直筆は、そのままでも強く読者の胸を打つが、そのほとんどは本文中に読み下しがついており、研究者はもちろん、これから古文書を勉強する人にもたいへん参考になる。間口あくまでも広く、奥行きの深い本といえる。
▼中原邦平については上の奈良本辰也氏の文に詳しいが、嘉永六年に生まれ、その半生を毛利家史料の編纂に尽くし、大正十年に没している。
▼今回の復刻に際して、秩入り菊判全九巻(本文七巻・付録二巻)の和本を、原寸のままA5判全三冊の洋本に改め、全頁にわたって新しく「通しノンブル」を付した。また『世外井上公伝』から六十三頁におよぶ年譜および家系図を転載した。
▼なお井上馨の伝記としてはこの『世外井上公伝』(井上馨公伝記編纂会 1933年刊 全五巻)があるけれど、その前半生はすべて本書『井上伯伝』に依っており、ほとんどこれを簡略化したものに過ぎない。


『井上伯伝』  略目次
【上 巻】
第一 家系及家庭

 井上一族の誅戮 勤倹の家庭 志道家の養子 養父母の家庭ほか
第二 教育及就仕
 明倫館 江戸在勤 撃剣修業 蘭学修行 西洋銃陣 攘夷論と英学修業ほか
第三 安政万延年間の形勢
 朝幕の乖離 密勅の降下及其の奉答 戊午の大獄 桜田の変ほか
第四 航海遠略の献議
 慶親公の憂慮 長井の上京及東下 形勢の激変 伏見寺田屋の変ほか
第五 藩論の一変
 慶親公の上京 長井の蹉跌 俗論の沸騰 長井の罪案 長井の処刑ほか
第六 世子公の東下
 薩長の関係 世子公の周旋 君の江戸在勤と海軍修業 壬戌艦の購入ほか
第七 外国公使襲撃の企図
 公使刺殺の密議 調金の苦策 土藩士と周布政之助 君等同志の処分ほか
第八 御殿山公使館の放火
 血盟書 焼弾の製造 福原の苦策 放火の状況 高杉の剃髪ほか
第九 洋行
 象山の論旨 五千両の金策 上海の所感 航海中の困苦 倫敦留学中の状況 帰朝の決心 帰航中の遭難ほか
第十 帰朝前における内国の形勢
 我が藩の攘夷 真木和泉の意見 親征の詔勅 堺町門の変 七卿の西下ほか
第十一 英国公使との交渉
 ガワルとの会見 サトーの紹介 英公使との会談 英国の青書ほか
第十二 開国論の主張
 姫島より山口帰着 開国論の勧説 御前会議中請 両公へ進謁ほか
第十三 姫島の決答
 開国論の否定 攘夷遂行の令 嬢夷論者の激昂 公の内諭 君の決意ほか
第十四 復命後の事状
 近畿の形勢 伊藤の江戸行 君の萩行 父子の生別離 高杉訪問ほか
第十五 和戦の議論
 外艦来襲の報 御前会議 京師の敗報 馬関の開戦 講和使一行の出発ほか
第十六 講話談判
 談判の開始 攘夷党の激昂 高杉、伊藤の潜伏 大砲引渡の困難 君の諌諍条約締結ほか
第十七 武備恭頗論の主張
 俗論の沸騰 正義派の対抗 君の決策 御前会議 国是の決定ほか
第十八 遭難及幽囚
 退出途中の奇禍 負傷の惨状 母氏の愛護 手術の状況 幽囚中の奇話ほか
第十九 遭難後の形勢
 三大夫四参謀の処刑 高杉訪問及脱走 諸隊の運動 諸隊の長府移転ほか
第二十 馬関の義挙
 高杉の入筑及帰国 五卿渡海の紛議 高杉の激発 馬関の挙兵 討姦檄
第二十一 正俗両党の戦
 諸隊の行進 絵堂の夜襲 君の脱囚 鴻城軍創立 太田の戦 佐々並の戦 諸隊山口屯集 諸隊の進軍ほか
第二十二 国是一定
 慶親公父子の引責及告祭 公の山口移転 宗支一和 諸隊配附ほか
第二十三 君と高杉の亡命
高杉、伊藤の西航及その帰国 馬関開港論 長府藩士等の激昂 君と高杉の亡命 桂の帰国ほか

【中巻】
第二十四 薩長連合の一
 坂本龍馬の来関 薩長連合の内議 君と伊藤春輔の長崎行 海援隊士の周旋 小銃の運漕ほか
第二十五 薩長連合の二
 ユニオン号購入の商議 君と伊藤の潜伏 泉十郎の処刑 坂本龍馬の来藩 乙丑丸の紛議 上杉の自殺ほか
第二十六 薩長達合の三
 桂小五郎上京の議 桂と小松西郷等の会見 坂本龍馬の入京 薩長連合の盟約 坂本の遭難 乙丑丸の始末ほか
第二十七 広島応接
 長州再討の令 監察の帰阪 国泰寺の応接 我が藩の拒絶 幕軍の進撃ほか
第二十八 四境の役
 大島郡の戦 芸、石、豊三方面の戦 津和野藩との交渉 小瀬川口戦況略ほか
第二十九 止戦談判
 松平春岳の建言 一橋慶喜画策の頓挫 厳島の会見 止戦の約ほか
第三十 征長事件に関する薩藩の態度
 大久保、西郷の上京 外艦兵庫入港 長州処分案 品川弥二郎の入京 防長士民の陳情書ほか
第三十一 薩長の修好使及英艦の来訪
 木戸準一郎の鹿児島行 馬関閉鎖論 英艦の来訪 公父子と提督との会見ほか
第三十二 兵庫開港と長州処分
 島津大隅守の入京 越、宇、土三候の入京 長州末家以下の召喚 三藩の連合 高杉の病没ほか
第三十三 討幕の計画
 山県狂介の上京 村田新八の来藩 後藤象次郎の意見 三条岩倉二卿の合体 大久保、大山の来藩 討幕の密勅 将軍政権返上の疏ほか
第三十四 三藩連合の出師
 公父子の大久保、大山引見 出兵手順の約束 広沢、小松の密勅奉帰 我が兵の出発 会、桑二藩の激昂ほか
第三十五 王政復古の大号令
 大号令発布の期日及その延期 朝廷及岩倉邸の驚動 改革当日の部署 大号令の発表 西郷の意見 岩倉卿の決心 慶喜退官納地の議決ほか
第三十六 長兵の入京
 山崎関門の応接 朝幕間の交渉 先鋒の関門通過 京都市民の感動ほか
第三十七 五卿の帰洛
 大山格之助の太宰府行 五卿処置の下問 薩長の忠告 春日丸の西下 三田尻の会見 五卿の入京ほか
第三十八 徳川氏の処置
 二条城の騒擾 尾越二候の周旋 徳川慶喜の下阪 岩倉卿の下問 三条邸の会議 君の豪語ほか
第三十九 伏見鳥羽の役
 春獄と岩倉卿の交渉 大阪表形勢の激変 大久保の建言 越前邸最後の会議 伏見開戦の報 官軍の連捷ほか
第四十 山陰道進軍の策
 西郷広沢等の賛同 福山城攻撃 伊予松山藩討伐の令 山陰道進軍の決議 君の石州行 同長崎赴任ほか

【下巻】
高杉、久坂等の「血盟書」をはじめ、志士たちの書簡等四十二編がほぼ原寸大で納められています。


 『井上伯伝』の復刻を喜ぶ
   奈良本 辰也
 元勲として明治の政界に君臨した井上馨について語ろうとすれば、何か心に残ることがある。西郷隆盛が「三井の番頭どん」と呼びかけたことがあると言われているほどに、彼ほど財界に癒着した人物は居なかった。
 しかし、その前半生を考えると、彼ほど波欄万丈の世界をくぐり抜け、維新の功業を全うした人物もあまり居ないであろう。このたび復刻される『井上伯伝』は、そうした彼の前半生について語られたものの一つである。
 いわば復権の書とでも言うべきか、誰かによって成されなければならない仕事であった。そこで、この仕事を遂行するにもっともふさわしい人物が現れたのであった。毛利家の家史編纂に従事し、文部省維新史料編纂会常任委員でもあった中原邦平である。

 中原邦平は、大島郡久賀町の生まれで、幼年より日蓮宗の僧加藤有隣について漢学を学び、長じては東沢潟の門に入って陽明学を修めた人物であるが、後に吉田松陰と親交のあった秋良敦之助に従って江戸に出、ここでは宣教師についてロシヤ語を修得したという、まさに八宗兼学の学者であった。
 その彼が手がけた著書には、この『井上伯伝』の他に『日清露の関係』『伊藤公実録』『忠正公勤王事績』『長井雅楽詳伝』等がある。その叙述はまことに厳正で、常に史料に頼って事実を鮮明にしようとする態度を貫いている。見るべきものはすべて見、聞くべきものはすべて聞き、遺漏するところがない。私も以前、長井雅楽について一書をものしたことがあるが、彼の著書には大いに学んだものだ。
 『井上伯伝』に於てもその態度が貫かれている。彼は嘉永六年の生まれで、明治四年、井上が大蔵大輔になったとき東京に出てきたのであるから、同時代人として井上のことを知悉していた。後年の井上も彼をよく知っていたに違いない。それだからこそ、あれだけの著書ができたのである。原本は帙入りで付録ともに九冊、なかなかの大著だ。

 本書には高杉晋作や桂小五郎など、維新期の代表的人物も余すところなく語られている。その人物たちの血湧き肉踊る活躍は、たくまずにして語られる内容だ。私も、それを読んで感激したが、昭和七、八年の頃、これを読んで一大長編小説を書いた一人の男がいた。いまはすっかり忘れられたが、林房雄である。彼は戦前にラヂカルな左派から右派に転向した作家であるが、その作品は、まさしく本書『井上伯伝』に触発されて書いたものだった。
『青年』がそれである。その中で、彼は井上と伊藤を主人公として活躍させ、彼らが導き、攘夷運動に意を燃やしながらイギリスに渡航し、その文明に触れて開国論者となり、日本に帰って身の危険を感じながらも、あくまで開国主義者として輿論の展開を計ろうとする。そして国難を避けようとしたのだ。彼はここに二人の青年時代を見たのである、いや、日本の青年聴代の夢と希望を見たのであった。
 私はこの『井上伯伝』を手に取るとき、いつも林房雄の『青年』を思い出す。

 このほど、本書が扱いやすい洋本三冊にまとめられて復刻されるという。若き日の井上馨復権のためだけでなく、維新史研究のためにもまことに喜ばしいことといえよう。
(本書パンフレットより)