維新の「影」を照射する希書 90年ぶりの復刻
長州之天下
 平野 秋来
 マツノ書店 復刻版 *原本は大正元年
   2001年刊行 A5判 上製 函入 340頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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▼「文武の高官を、殆ど専売物たるかの如く占めている長州閥の地元に単身乗り込み、広く大政治家や名将の出所経歴及び親戚故旧を訪ね、その血族の生活状態を観、帰来眼底に存し胸中に記する所見所聞を、何らの私論もまじえず、ただありのまま飾らずに記した」という自序の通り、孫引きで書かれた通俗書と違い、細部まで迫力ある信愚性の高い読物。これぞ横山健堂『長周游覧記』の人物版、今後の「長州学研究」に必読の文献といえよう。
▼維新で功なり名遂げた人々の自慢話だけでなく、陽のあたらぬ人々の恨み節も含めた、「長州之天下」の裏表。これ以上風刺の利いた題名はないと思われる。
『長州の天下』 目次
 明治元勲の出身地
@ 萩町のアウトライン
A 防長の花、防長の光
B 長州三傑の誕生地
C 毛利氏萩に退く
D 失敗の長州征伐

 公爵 山県有朋
@ 父は五人扶持の中間
A 又辰之助の豆きりが
B 昔の暴主、今の棒手振
C 白髪に残る懐かしい創痕
D 文の藤公と武の山公
E 明倫館前の悲壮劇
F 一小塾から六大臣
G 師弟生別の涙松
H 情史の劈頭伊藤公に敗る
I 大日本狂生高杉春風
J 時代の犠牲、祖母の水死
K 右手に花、左手に盃
L 柴田環女史と夏蜜柑
M 兄おもひの山県統監

 公爵 桂太郎
@ 桂公別荘拝見記
A 忠亮の人中谷松三郎
B 何処迄も女と頭が付纏ふ
C 恩師の一喝に泣く
D 善福寺のおでこ如来
E 影の人と変り者
F 高々指の神秘力
G 怪傑坪井九右衛門
H 恐しかりし浜松の一夜
I 少佐狂して我家を焼く
J 小羊の如く猛虎の如し
K 坪井家の悲しき対面上
L 人焼く月下の煙

 中将 渡辺章
@ 兄は師団長。弟は土方
A 山口連隊の鬼長官

 少将 田中義一
@ 長州の大力蕪七
A 鯖のやうな玄関番
B 青年社会の田中熱

 前翰長 柴田家門
@ 侯爵に成り損ねて発奮

 男爵 藤田伝三郎
@ 金は天下の湧き物
A 未来の鉱山王久原氏

 伯爵 乃木希典
@ この親にしてこの子あり
A 戦場に味噌汁は無いぞ
B 華の真影流より実の一刀流
C 血涙を揮って骨肉を討つ
D 大将遺訓の数々

 伯爵 寺内正毅
@ 足利時代の文明の窓
A 腕白史に現はれたる寺内伯
B 動かぬ腕で格言の揮毫
C 中島村長牛刀を揮ふ
D 魚屋と故老と史蹟

 侯爵 井上馨
@ スパルタ的に育てらる
A 雄弁藩論を覆へす
B 一本松の闇討



  『長州之天下』という本
     一坂 太郎
 百年あまり前、日本の政界・軍部の中枢は山口県出身者で占められ、まさに「長州之天下」といった様相を呈していた。そうした時代の空気を吸いつつ大阪毎日新聞の青年記者が彼らの出身地である萩や山口、長府に赴いて取材し、書き上げたのが人国記『長州之天下』である。初版は大正元年(1921)十二月の出版だから、もう九十年も昔の話だ。

 本を開き口絵一頁目に、長州閥首領の山県有朋の写真と共に、風采の上がらない老人の写真二枚が出ている。どうも見覚えの無い顔だ。それもそのはず、二人は萩に住む山県の幼なじみで、うち一人は「病んで橋本橋畔の雨洩り涙も洩るゝ茅屋に、軽からぬ病気の床に臥して居る」。という。華やかな山県とは対照的な暮らしぶりのその老人は、訪ねた記者に昔話を聞かせ、そしてさびしく笑ったという。
 あるいは記者は、幕末の政争に敗れて切腹した坪井九右衛門の遺児吉村守廉少佐の悲劇にも、多くの頁を割く。吉村は桂太郎から軍人としての将来を嘱望され、その妹こま子を妻とした。しかし、度重なる不運により栄達から取り残された吉村は精神を病み、ついには萩の自宅を自らの手で焼き払ってしまう。
 また当時、在郷軍人数の一割五分に当たる四十名もが、萩町とその周辺に住んでいた。このため彼らが受ける恩給や年金の年間総額は八万円余りにもなり、「町の第一の財源たる夏蜜柑の年産額十三万円に比して少きこと僅に五万円に過ぎぬとは全国の他町村に見る能はざる現象ではないか」と評すあたりも、ジャーナリストならではの目配りと言える。
 『長州之天下』という、ふん反り返ったような題名を付けながら、中央で活躍する元勲たちの栄光や美談には重きを置いていない。実は故郷に取り残され、「長州之天下」の陰に生きた無名の人々の生きざまを伝えようとしたところに、この本の真骨頂がある。いまこそ復刻、再評価されるべき本だ。

 一世紀前、明治維新に対する複雑な思いが、この山口県には渦巻いていた。そのことを記録した文献は『長州之天下』以外、ほとんど見ない。当時の史家やジャーナリストたちの大半は、貴重な話がいくらでも集められた時代だったにも拘わらず、その努力を怠ったのだ。だから維新は、英雄や偉人たちの薄っぺらな武勇伝や美談に成り下がった。
 いまになって「長州之天下」の表面だけを懐かしみ、栄光ばかりを追っても本物の歴史は見えて来ない。濡れ手で粟をつかみたい者が「維新よもう一度」と言ったとごろで、真実味は無い。「長州之天下」とは、なによりもまず山口県にとって暗く悲しく、厳しいものだった。新時代の犠牲者になりながら、それを乗ゆ越えたからこそ山口県の歴史は誇り高く輝き、偉大なのである。
(本書パンフレットより)