非凡な能力を持ちながら、常にナンバー2の地位にとどまり、
日露戦争を勝利に導いた、軍人・政治家児玉源太郎の実像
児玉源太郎
 宿利 重一
 マツノ書店 復刻版
   1993年刊行 A5判 上製函入 838頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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復刻に際して
■今回復刻する宿利重一著『児玉源太郎』(国際日本協会 昭和十八年刊 訂正三版)は、約三十点に及ぶ児玉源太郎関係書の中でも特に史料価値の高い稀覯本です。
■著者の宿利重一氏は、明治二十年大分県に生まれ、県立大分中学卒業後上京、久留島武彦の門下生をへて軍事関係の伝記専門家となり、昭和二十三年没。著書に『乃木希典』『乃木静子』『メッケル小佐』『小村寿太郎』ほか。
■復刻に際し巻末に、児玉源太郎の研究家としても知られる徳山の眼科医・長田昇氏の綿密な調査に基づく「『児玉源太郎』と著者」を掲載し、またB6判の原本をA5判に拡大しました。

『児玉源太郎』 目次
■序文 古川薫

■南北駢進論者として

 台湾なかつせば
 この雋器ありて
 北方の生命線も
 問題の日露戦争
 「海南島会話篇」よ

■五十五年史

■この母と恩師
 その環境を見よ
 遠祖には児玉党
 「桜尾の局」ありて
 天は試練を降す
 児玉次郎彦忠炳
 「日本野史」の奪還
 義兄の指導法は
 好漢兇匁に仆る
 女丈夫に辟旨す
 再度の悲運辛し
 島田藩根翁とは
 廃藩置縣に先駆
 國宝は抑止さる
 典型の師弟交遊

■新陸軍の再建へ
 「天授の名将」とは
 大阪の兵学寮へ
 悲喜交々抵りて
 山田顕義の風鑑
 妻子は大阪表へ
 火薬庫を死守す
 児玉・川上の駢進
 メッケル少佐と
 小坂千尋を配す
 試練?危機来

■陸軍次官
 ヨーロッパ巡遊
 健兵主義の徹底
 兵器独立を思う
 製鉄所の創立も
 その斡旋に依る
 輸送船ありしや
 これに次ぐもの
 兵站線の後方は
 後藤新平を抜く

■台湾総督(一)
 「新領土估るべし」
 問題の民政長官
 罷免者千八十人
 福建省割譲せず
 厦門事件の片鱗
 米田侍従の差遣
 祝と中村ありて
 糖業エビソード
 財政終に独立す
 経編家の要諦へ
 人心の機微にも
 「万里鎮南呼快哉」

■政治家として
 この気迫ありや
 執著も弱からず
 熱情を傾注して
 スパイに逆襲す
 男と男となりき
 兼任の陸軍大臣
 時代の具象化か
 寺内正毅の登場
 伊藤候に万声す
 焦眉の行政整理
 内務大臣として
 文部大臣を兼ぬ
 待望の児玉内閣

■参謀次長
 緊迫の対露交渉
 英米の財界へも
 七博士の建議書
 田村恰與造逝く
 飛躍せし湖月組
 問題の参謀次長
 その俤を舞台へ
 作戦計画の徹底
 先制緒戦に勝つ

■満州軍総参謀長
 この陣容を見よ
 メッケルを想う
 旅順攻囲督戦行
 総参謀長の辞表
 二〇三高地論争
 第二旅順督戦行
 奉天会戦に捷つ
 「点火して消防へ」
 次の時代に描く

■台湾総督(二)
 蓋し天衣無縫か
 台湾米を争点に
 阪谷次官の魅惑
 この眼識ありて
 汚辱せるは誰ぞ

■参謀総長−終焉
 困惑の満鉄経営
 ハリマンの断念
 満州経営委員会
 総理大臣満州行
 戦後の軍備問題
 奇才永遠に眠る

■人名索引
■「児玉源太郎」と著者(長田昇)



 児玉源太郎の秘話と等身像 明治史を生きた非凡なナンバー2の魅力
     古川 薫
 児玉源太郎を主人公とした拙作『天辺の椅子』を毎日新聞に連載中、読者からたくさんの投書が寄せられた。日露戦争への関心がこれほども高いことを、あらためて知ったのだが、同時にそれは児玉源太郎という人物に魅力を覚える人が多いということでもあった。「あのような経歴の持ち主とは思わなかった」という声も聞かれ、とくに彼の幼少年時代の異常体験については、ほとんど伝わっていないようだった。
 児玉源太郎は、旅順二〇三高地攻略に天才的戦術家としての腕をふるったことで有名であり、そのときはすでに陸軍大将である。将官クラスの軍人は、いわゆるエリート・コースを登ってきた人ばかりだから、おそらく源太郎もそうであろうと思われていたらしい。いわば脚光を浴びた部分だけが切り取られて記憶されているのだ。

 児玉源太郎は毛利の分家徳山藩の下級武士出身で、藩閥に頼った多くの長州出身の軍人とは別の道をたどり、下士官からたたき上げて陸軍の中枢に入って行った。源太郎の伝記は一つのサクセス・ストーリーをなすものだが、そのめざましい昇進の割には、いちまつの影がつきまとっている。彼はつねにナンバー2の地位にとどまり、ついに死ぬまでそうだった。 世の中には非凡な能力を備えながら、ある宿命的な条件、つまり自然なめぐりあわせによって、結局ナンバー2の地位に止まる人がいるものだ。トップの下にいることで、むしろ存分に手腕を発揮できるという種類の人物である。彼は決して上にいる者をないがしろにしない厳然たる一線をみずから引いて、しかも上位をしのぐまでに活動する。源太郎はナンバー2の典型といってよい男だった。そして自身そのことを受容していた気配も感じられ、官位の降格を承知の上で参謀次長を引き受けたりもする。毅然としたアイデンティティーこそが、児玉源太郎の魅力である。メッケルから日本陸軍最高の戦術家と折り紙をつけられた源太郎は、大山元帥の下にあって期待通りの才腕を発揮し、強大なロシア軍との対決を戦い抜いた。猪武者ではなく戦争の怖さもよく知っていたから、その退きぎわもみごとだった。「もう戦えない」という判断を示すほどの自信と勇気、決断力と政治性を併せもった軍人は、それ以後の日本にあらわれていない。

 私がそんな児玉源太郎の生涯を小説化するにあたって、むろん最初の作業は資料集めだが、日露戦争関係はともかくとして、源太郎の伝記となるとなかなか入手困難だった。神田の古書店を一日じゅう歩きまわって、どうやら役に立ちそうなのを三冊求めることができた。 
 森山守次著『児玉大将伝』(明治四十一年、発行人星野錫)
 宿利重一著『児玉源太郎』(昭和十三年、発行人著者発行所対胸杜)
 宿利重一著『児玉源太郎』(昭和十七年、発行所国際日本協会)

 宿利氏は大分県出身。大分中学校在学中に、日露戦争直後、精魂尽きたように急死した児玉源太郎の悲劇的最期を知って心を打たれ、以来その事蹟や資料を丹念に収集。長い歳月をかけてこの伝記を書き上げた。ほかに『メッケル少佐』『乃木希典』『乃木静子』などの著書も持つ昭和初期の伝記作家である。
 森山氏は、源太郎と親交があった人だけに逸話なども集め、よく調べているが、やはり児玉源太郎伝となれば宿利氏の著作が圧巻である。昭和十三年発行の本は新京に源太郎の銅像が建ち、その除幕式のとき配られた私家版だ。これを改定したのが昭和十七年に国際日本協会から発行されたもので、私はこれしか知らなかったのだが、こんどマツノ書店で復刻されるのは、さらに改訂、増補した昭和十八年版であり、巻末には索引まで付いている。児玉源太郎伝の決定版というべき労作である。戦時中に書かれたものだから現代のフィルターをかける必要なしとしないが、この当時この種のものとしては、あまり誇張のない実証的な叙述による資料性も具備し得た。
 戊辰戦争から日露戦争まで、源太郎は武人として内外のあらゆる戦場に立ち、みずからの血も流している。まさに激動の明治史を生きた長州人である。宿利氏はその間の歴史情況をはじめ数表や人名簿などをふんだんに使いながら、児玉家の家系、その生い立ち、数奇な家庭秘話から筆を起こして等身大の児玉源太郎を彫り上げており、単なる伝記の域を越えた史書となっている。
 ともあれ源太郎のような人物が重要なポストで機能することによって、組織は活性化する。企業でもそうだが、政治でも例外ではない。時代がマイナスの変更点に達するのは、その器量でもない人物が、われこそはとしゃしゃり出るときだということを歴史は教えている。英雄にも軍神にもならなかった、有能にして魅力的な明治の男のみごとな軌跡を詳述した宿利重一著『児玉源太郎』の復刻本が世に迎えられるゆえんだろう。
(本書パンフレットより)