”藩閥の砦”山口県にも自由民権運動は起こった
山口県自由民権関係史料集
田村貞雄編
A5判函入・250頁
パンフレットpdf
ホームページ


吉田松陰の甥も出席した
民権運動
色川大吉
藩閥権力の牙城に
新しい光を
家永三郎
自由民権運動の意義を
考える貴重な史料集
遠山茂樹
◆今から百年前、世間が「薩長藩閥打倒」の声で湧き返っていたとき、薩摩には幾派もの民権結社があり、西南戦争以来の余燼をくすぶらしていたが、明治政府の金城湯池長州には、その痕跡すら見られないのではないかと私などは思いこんでいた。その迷蒙を打破ってくれたのが、本書の編者田村貞雄氏であった。

◆田村氏には長州白由民権連動の研究がある。それによると、長防白由党や防長大親睦会・馬関懇親会などがしばしば開かれ、中央の民権家と活発に交流していたことが知られる。とくに、防長大親睦会には吉田松陰の甥吉田庫三が出席し、自分は不肖ではあるが先生松陰の尽国の徴衷を継ぎ、諸君とともに奮然と自由の真理を抱き、身を国事に投げうち、諸県の人ぴとをして長防にもなお人ありといわしめん、と自由民権への決起を訴えた事実を知って感銘した。

◆そうした根拠となる史料を是非原文のままで読みたいものと念願していたところ、今回、地元徳山のマツノ書店の力で『山口県自由民権関係史料集』が刊行されると間いて、同じ民権研究者として喜ぴに耐えない。
◆明治前半期は、多元的な潮流の渦巻く、さまざまの方向への歴史の展開の可能性をはらんだ時代であった。たとい帝国憲法体制に帰結する線がきわめて有力であって、後から見ればそれ以外の道の実現の可能性はなかったかのように思われるかもしれないけれど、あの時代の日本が、帝国憲法体制下の日本よりもいっそう巾広い選択の岐路の前に立っていたことだけは否定しがたい。

◆百年記念を契機に改めて大きくグローズアップされた自由民権は、そのなかでももっとも現代日本人の課題に直結する内容に富んだ動きであったそれが全国各地で下から展開されたのだから、各地方・地域での動向をたんねんに浮ぴ上がらせることなしに、その全体像は再現できない。自由民権の反対極の藩閥専制権力の牙城である山口県について、多年めんみつな研究を続けてきた編者による基礎史料の集成が公にされることは、今まで学会で見落されがちであった部分に新しい光をあてるための、貴重な学術資料を提供するものといってよかろう。
◆一昨年11月、自由民権運動百年を記念する全国集会が開かれた。この集会を支えたのは、各地域の自由民権運動を研究しその意義を顕彰する運動をおこなっている全国各地の団体であった。その団体には、いわゆる研究者だげではなく、一般市民の方が多く加わっていた。このことは、百年前の自由民権運動が現代にとっていかに切実な意義をもっているかを物語っている。
◆それとともに自由民権運動の研究の上で、地域史の研究がきわめて大切であり、現に貴重な研究成果を生み出していることを反映している。自由民権運動は、日本で最初の民主主義を求めての国民運動であった。国民運動であるというのは、地域に根ざし、住民の生活に基礎をおいた政治運動だということである。
◆地域に根ざした全国的な政治運動であるという性格は、山口県の情況に典型的に示されているともいえるだろう。藩閥の拠点であるが故の運動の困難さをふくめての貴重な史料の発掘と集成によって、自由民権の歴史の意義は、新しい角度から照らし出されるにちがいない。