吉田稔麿、入江九一、久保松太郎、楫取素彦の4人を実例に松陰教育の現場を復元
松陰先生の教育力
 広瀬 豊
 マツノ書店 復刻版 *原本は昭和9年
   2000年刊行 A5判 上製 函入 430頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『松陰先生の教育力』 目次
第一編 松陰先生の教育力
 第一節 松陰先生と吉田榮太郎
 第二節 愛弟子 入江杉蔵
 第三節 村塾の功労者 久保清太郎
 第四節 松門の柱石 小田村伊之助

第二編 松陰研究の諸問題
 第一節 教育者としての覚悟
 第二節 再び国賓渡邊嵩蔵翁を訪ふ
 第三節 門弟 横山幾太翁の村塾回想録
 第四節 松下村塾の来歴
 第五節 父師善誘法
 第六節 筆蹟繪及印章の研究
 第七節字と號


 吉田松陰の「教育力」
   北海道大学名誉教授 田中 彰
 最近は「老人力」という言葉がもてはやされている。「老人」に「力」という文字を付すことによって、そのパワーを強調しようというのである。
 昨今の教育界の現状をみると、やがて「教育力」という語が叫ばれはじめるかもしれない。その「教育力」を書名のタイトルにしているのが本書である。本書の初版本が出版されたのは、1934年(昭和九)である。満州事変(1931年)と日中戦争(1937年)の中間の年に当たる。それはワシントン海軍軍縮条約破棄を日本がアメリカに通告した年でもあったから、新たな「教育力」を必要とする情況だったのだ。

 著者広瀬豊氏(1882〜1960)は、海軍兵学校・海軍大学を卒業し、正規の海軍軍人だったが、教育学に関心をもち、その関心の焦点を吉田松陰にしぼった。『吉田松陰の研究』(正続合わせて復刻版、マツノ書店、1989年)をはじめ多くの松陰に関する著作を公刊しているが、本書はこの著者の松陰基礎研究の一部を成すものである。
 本書は、吉田栄太郎(稔麿)・入江杉蔵(九一)・久保清太郎・小田村伊之助(楫取素彦)らを中心にとりあげている。そこに松陰の「教育力」を具体的にみようとするのだ。その中の一人入江九一は、松門の弟子たちが松陰から離れようとしたときも、最後まで松陰のもつとも身近なところにいた。

 『吉田松陰全集』普及版、第十二巻所収の「関係人物略伝」は、松陰と入江との関係を、「肝胆相照し」といい、入江は「松陰を篤信し、その精神を継承せんとする志に於いて最も純なるものありき」と述べている。

 本書は、その端的な表象を入江九一の筆蹟に見てとる。松陰の文字にもっともよく似ているのは彼であり、「何れが本物か迷ふ場合がある」と記す。事実、安政六年(1859)の入江の筆蹟は、松陰の筆蹟そのものなのだ。
 入江九一の筆蹟の流れをみると、安政五・六年、とりわけ安政六年をピークにして松陰の筆蹟に酷似し、松陰刑死後から文久期にいたるとしだいに松陰風から遠ざかる。元治元年(1864)の筆蹟になると、もはや異筆の感すら覚えるような変化がみられるのである。
 それこそが「教育力」の結果のあらわれではないのか。本書によって吉田松陰の「教育力」を改めて確認していただきたい。
(本書パンフレットより)