大村益次郎伝の原典
大村益次郎先生事蹟
 村田 峰次郎
 マツノ書店 復刻版 *原本は大正8年
   2001年刊行 A5判 上製 函入 324頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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復刻にあたって
■本書の特徴は上の文章に語り尽くされていますが、あえて補足すれば、後半の「大村先生逸事談話」についてでしょう。
■談話をされたのは、幕府の講武所出仕時代から大村と兄弟のように付き合いをしていた原田一道、大村の私塾、鳩居堂の門人伊藤雋吉、軍政局で一緒に仕事をしていた長岡護美や船越衛、友人の寺島秋介、天野御民、宇和島の人鈴村譲、長州の御用商人伊豆倉の番頭貞次郎など十五名に及び、内容も実に多彩な「生の史料」です。
■著者の村田峯次郎は、幕末長州の偉人村田清風の孫で、安政四年萩に生まれ、生涯を防長史の研究に賭けた人です。著書に『防長近世史談』『品川子爵伝』『高杉晋作』などがあります。


 大村益次郎伝の原典
    内田 伸
 大正8年は大村益次郎の没後50年を迎え、靖国神社において、その50年祭が挙行されたが、そのとき村田峰次郎先生の『大村益次郎先生事蹟』は刊行された。
 村田先生にはこれより古く、明治25年刊行の『大村益次郎先生伝』もある。それは大村の伝記としては最も早いもので、大村の銅像が靖国神社に建設されるにあたり、その竣工式典に配布されたものらしい。57頁の小冊子であるが、大村の死後二十余年、まだ大村に直接面識のある者も多かったから、それらの聞き書きなどが中心となっている。これは村田先生の初期の著作であるが、小冊子なのが残念である。先生もそれを感じておられたのか、その50年祭には進んでこの『大村益次郎先生事蹟』を執筆されたのである。

 大正初年には、幕末維新に際して大村と行動を共にした人もまだ多く生き残っていた。この『大村益次郎先生事蹟』は村田先生がそれらの人々に直接会って書かれたものであるから、その内容は詳しく正しい。類書に比べてはるかに生彩を放っている所為である。さらに本書の特徴は、後半の「大村先生逸事談話」にある。
 本書の構成は、前半が「大村の伝記」、後半は「大村についての談話集」からなっている。この「大村に生前面識のあった人々の談話」の収録は、何といっても貴重である。これによって大村の生存中の本当の姿を知ることができる。談話者は大村と十数年行動を共にした原田一道をはじめ、15人に及んでいる。これらの談話は大村の伝記を補足するだけでなく、幕末維新史に新しい史料を提供するものとしても大変貴重である。(この「大村先生逸事談話」の部分は昭和五十二年、『大村益次郎先生事蹟』から切り離して一冊としてまとめ、マツノ書店から『大村先生逸事談話』として復刻出版された)この「大村先生逸事談話」があることにおいて、本書『大村益次郎先生事蹟』は、現在50冊近く出版されているあらゆる「大村伝」中の白眉となっている。その後昭和初年頃に多く出版された「大村伝」は、みなこの『大村益次郎先生事蹟』から資料が取られているものばかりといってよい。

 昭和47年に出版された司馬遼太郎著『花神』は、大村益次郎を描いた小説である。昭和52年にそれがNHKの大河ドラマとなり、いわゆる花神ブームが起こった。そしてそれに便乗して「大村伝」も多く出版された。しかしこれらは、小説『花神』を下敷きにしたものであったから『花神』の小説としてのフィクションが、そのまま真実の如くに書かれている個所が多くある。
 私はよく人から『花神』の内容に間違いはないかと聞かれたりする。そのとき私は「村田蔵六(大村益次郎)という名前だけが本当で、あとはみな作り事ですよ。小説とはそんなものではないでしょうか」と答えている。『花神』の中の村田蔵六は、幕末の貯蔵された革命のエネルギーを、軍事的手段をもって全国に普及する仕事を成し遂げ、全国津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわった、いわゆる「花神」で、その技術者としての姿、仕事師としての人生が面白く豊かに描かれている。
 大村益次郎の事蹟を広く人々に再認識させたという点においては、『花神』は実に有難い立派な本である。しかし史実と比べてみると、『花神』の記述の誤りは多い。大坂の適塾に入門したとき「村田蔵六デアリマス」と挨拶したとあるが、大村が蔵六と改名したのは適塾入門よりもすっと後で、宇和島藩に仕えてからである。「宇和島藩文書」には「最初頃は良庵、後に蔵六」と見える。このことはこの『大村益次郎先生事蹟』にもその文書がはっきり書かれている。
 また『花神』には、大村は全く馬に乗れなかったので、四境戦争の石州口では大将が歩いて行ったとある。しかし大村の遺品には馬の鞍などがあり、この『大村益次郎先生事蹟』には、石州大麻山の偵察には馬で行ったと書かれている。『花神』には大村は宇和島で「お稲」と同居していたとあるが、実際には大村の妻が宇和島に行って大村の世話をしていた。このことも「宇和島藩文書」に見え、この『大村益次郎先生事蹟』にも記されている。

 とにかく『花神』ブームに便乗した「大村伝」は『花神』のこのようなフィクションをそのまま史実と認めて書かれているものが多く、正しい伝記として認められるものは無い。それで結局五十冊近い「大村伝」の中で、最も信頼出来、史料的にも価値のあるものとしては、この村田峰次郎先生著の『大村益次郎先生事蹟』ということになる。いわゆる<大村益次郎伝の原典>ともいえる書で、このたびの復刻を心から喜ぶものである。
(本書パンフレットより)