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久坂・高杉らと共に闘った八幡隊総督の維新回顧談 |
| 伝家録 | |
| 堀 真五郎 | |
| マツノ書店 復刻版 | |
| 1999年刊行 A5判 上製 函入 286頁 パンフレットPDF(内容見本あり) | |
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| 『伝家録』について 一坂 太郎 |
| 幕末から明治にかけて活躍し、あらゆる史料に名をとどめながらも、その全生涯となると、ほとんど知られていないという人物が意外に多い。まとまった伝記となると、人名辞典に掲げられた略歴程度しか無いのだ。 堀真五郎も、どちもかといえばそんな人物の一人である。ただし彼は晩年になって『伝家録』という回顧録を著したから、維新前後の事蹟は、ある程度知ることが可能だ。 『伝家録』で堀は八幡隊総督として高杉晋作や久坂玄瑞と共に長州藩尊皇攘夷運動の急先鋒として数々の幕末の事件にかかわり、戊辰戦争を経て箱館府に赴任した経緯を、多くの原文書を交えながら詳述する。そして明治四年に官界を去って帰省し、八年に再び官途に就くところで唐突に終わる。そこが堀自身の中での、びとつの時代の区切り目だったに違いない。 「堀真五郎」という名を聞いて私が真っ先に思い出すのが、目的が記されていない謎の血盟書のことである。文久三年(1863)前半、高杉晋作が京都で「憤激」の末、血盟して「何か」を起こそうと企んだことがある。が、同志は「遅疑」して応じなかった。ただひとり入江九一(翌年、禁門の変で戦死)だけが、三月二十日に率先し血盟した。のちに晋作は堀と共に海路、帰国の途についたため、計画は果たせなかった。その船中で四月二日、晋作と堀が血盟している。ちなみに堀の書いた部分は「志を事業に立て、力を邦家に尽し、死を天朝に致す。諸君これを以て責む。凡民敢えて辞せず、神舐照覧。掘義彦(血判)」となっている。過激な攘夷運動に挺身する者たちですら、遅疑した晋作の計画とは一体何だったのか。目的を記さないところを見ると、よほど重大なことだったと考えられるが、とにかく分がらない。「三烈士血盟書」と題されたこの史料は高杉家に伝わり、現在は東行記念館に蔵されている。 後年になって掘は『伝家録』で、船中において晋作とお互いの人物評を交換した逸話などを回顧してはいるけれど、血盟書については一切触れていない。晋作との密約を守ったのか、それとも半世紀を経て忘れてしまったのか。不思議なことであり、残念なことでもある。 『伝家録』執筆の目的は、子孫に自らの維新史を残すことにあった。外部に出すことを前提に書いたのではないだろうが、堀没後二年余りを経た大正四年(1915)六月、息子栄一によって私家版として出版された。原本は他の堀家文書と一緒に大正十二年、関東大震災で灰燼に帰したとのことなので、出版しておいた意義は大きい。一個人の回顧録を遥かに超えた、貴重な維新史料であるからだ。さらに昭和四十三年(1968)十月には明治改元満百年を記念し、孫真道によって出版された復刻版もある。 (本書パンフレットより) |