中国地方八カ国の氏族家系を解明 大内・毛利家臣団の実像に迫る
萩藩諸家系譜
 岡部 忠夫
 マツノ書店 復刻版 *原本は1983年 琵琶書房
   1999年刊行 B5判 上製 函入 1240頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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▲萩藩士の系図集は、これまで二点だけ刊行されています。今回復刻する『萩藩諸家系譜』と、昭和四十一年に刊行され、後に小社で復刻した三坂圭治・田村哲夫編『近世防長諸家系図綜覧』です。
▲学問的により綿密なのは『綜覧』かもしれませんが、『系譜』は『綜覧』に比べ総頁数、掲載の家系数とも約三倍あります。『系譜』は『綜覧』の内容をほぼ含んでいる上『綜覧』にない家系が百五十以上もあり、また『綜覧』が系図だけなのに対し『系譜』には家ごとに親切な解説も付されています。中国地方史研究者の座右に必備の一冊です。
▲岡部忠夫氏は系図一筋に生涯をかけた篤学の士です。退職後は山口県文書館に日参し、すべての時間と精力を大内・毛利家臣団の系図解明に捧げ、昭和五十八年、琵琶書房から本書を刊行後、まもなく他界されました。


 禄高に関係なく、出自の明らかな家系を
     岡部 忠夫
 山口県文書館に保管されている系譜類は次のものがあり、数千冊という膨大な数にのぼる。

@ 系譜類 本家萩毛利家をはじめ、末家一門の家系を、明治中期に毛利家編纂所において調査のうえ作成されたもの
A 巨室類 毛利一門六家と益田、福原両家永代家老の家譜を、次項の譜録作成時に各家から提出させたもの
B 譜録類 享保年間編集の『萩藩閥閲録』につづく事業として、元文、寛保、延享年間に萩藩士から録上させた古譜録と、明和、安永年間に録上された新譜録に大別されるが、家によっては享和、天保年間に追加譜録として録上されたものや、ごく一部の家では明治、大正に追加挿入した系譜もある。総数は寄組以下諸士から細工人に至る二五九五家におよぶ
C 徳山藩譜録 本藩に準じ徳山藩士から録上させた系譜類
D 諸家文書 諸家が伝える譜録類で文書館が保管するもの

 以上、系譜を録上した氏族中には、中国五県、愛媛県、福岡県などの地方史研究上必要なものが多く、個々の氏族についてはすでに県史、市町村史、研究論文などに発表済みである。しかし、萩藩にはこのような氏族がいるのだという集大成された出版物は、いまだ刊行されていない。
 かつて寄組以上の系図を集めた『近世防長諸家系図綜覧』が刊行されたけれど、禄高や地位は毛利家との親族関係で決定されるもので、必ずしも萩藩氏族の代表的な家系であるとはいえない。従って萩藩氏族の全貌を書いたものは皆無であるといって過言ではない。
 なぜ、これまで手がつけらなかったのであろうか。まず考えられることは、山口県の中世は大内氏の時代であり、毛利氏の時代は近世に入ってしまう。中世において萩藩士が活躍した地は、安芸、備後、石見、出雲、伊予などであり、地元地方史研究家にとって研究の対象にならない。
 またこの系譜類は数も多いが、その内容は系図、正統伝書、文書など多彩で、一氏族のみで三冊にわたる場合もあり、短時日で研究できるものではない。そのうえ古文書は消耗の恐れがあるためコピーはとれない。写真にとるか、鉛筆で筆写する以外はなく、経済性を考えたらとてもできる仕事ではない。以上の二点が、これまで誰も手をつけなかった根本原因のようである。
 言うまでもないことであるが、萩藩は防長二ヶ国、公称三六万七四〇〇石ではなく、中国八ヶ国、一二一万石の大々名・毛利家を前提として見るべきである。それは次のような複雑多岐な氏族を含んでいる。
 まず、安芸、備後の国人で、かつては毛利氏と対等関係にあったが、毛利氏の台頭により漸次その麾下に入った、国衆と称せられる氏族。次に、周防・長門では大内氏の一族およびその家臣であった、外様と称せられる氏族。尼子氏のように出雲、石見から毛利氏に降伏し、臣従した氏族。そして足利将軍義植、義昭に従って下向してきた氏族。豊臣氏や徳川氏のため滅ぼされた大名またはその家臣で、毛利氏を頼ってきた氏族などである。
 これらの家系は、姓氏家系研究上、欠くことの出来ない重要史料であると確信する。
 私は本書を編集するにあたり、史上に現れる氏族を主とし、かつ、その出自の明らかなものを禄高に関係なく選定した。ただし、歴史を異にする家系は、同一氏族であっても重複して掲載した。各氏族が関係する国は四十数ヶ国にわたっている。そのため各地の県史、市町村史、研究論文などに極力あたり、真実を伝えるべく努力したつもりであるが、非才の身の大業ゆえ、不明過誤も多々あると思う。今後先輩諸兄のご指導を願って訂正していく以外はない。
 本書編集にあたりご指導を賜った毛利博物館長・臼杵華臣氏や、山口県文書館の職員の方々のご厚意に対し、紙上をかりて厚く御礼申し上げる次第である。
(本書序文より)


『萩藩諸家系譜』 目次索引
あ行
あ 青木氏 赤川氏 赤木氏(上領氏) 阿川氏 秋里氏 阿曽沼氏 厚母(あつも)氏 天野氏 有地氏 有福氏 粟飯原(あいばら)氏 粟屋氏  阿武(あんの)氏

い 飯尾氏 飯田氏 伊木氏 生駒氏 伊佐氏 諌早氏 石津氏 出羽氏 磯兼氏 市川氏 伊藤氏 伊東氏 糸賀氏 糸永氏 井上氏 井原氏 入江氏 氏家(うじえ)氏 宇野氏 臼井氏 臼杵氏 馬屋原氏 浦氏 浦上氏
え 江木氏 榎本氏
お 大多和(おおとう)氏 大庭氏 岡氏 岡本氏 岡部氏 小笠原氏 緒方氏 奥平氏 小倉氏 小野氏 小幡氏1081

か行
か 香川氏(井上氏) 柿並氏 賀来氏 堅田氏 勝間田氏 桂氏 門多氏 神村氏 上山氏 金子氏 兼重氏 兼常氏 賀屋氏 
き 吉川氏 来嶋氏 木梨氏
く 草刈氏 櫛辺氏 口羽氏 沓屋氏 国司氏 国重氏 久芳氏 熊谷氏 蔵田氏 来原氏 桑原氏
こ 神代氏 河内氏 河野氏 児玉氏 小早川氏

さ行
さ 雑賀氏 財満氏 坂氏 桜井氏 篠川氏 佐々木氏(伊佐氏) 刺賀氏 佐世氏 佐波氏
し 重見氏 宍戸氏 志道氏 清水氏 下瀬氏 白井氏 宍道氏 神保氏
す 水津氏 末武氏 末近氏 周布氏 椙杜(すぎのもり)氏 椙原氏 諏訪氏 祖式氏 曾弥氏

た行
た 高洲氏 高杉氏 竹田氏 田総(たぶさ)氏
ち 張氏 土屋氏 都野氏
と 東条氏 豊田氏

な行
な 内藤氏 長井氏 中川氏(赤穴氏) 中嶋氏 中所氏 中村氏 長崎氏 長沼氏 奈古屋氏 梨羽(なしば)氏 楢崎氏
に 新山氏 蜷川氏 二宮氏 仁保氏 
ね 根来(ねごろ)氏 
の 能美氏 乃美氏 乃木氏 信常氏

は行
は 羽仁氏 羽根氏 波多野氏 服部氏 林氏
ひ 日野氏 平岡氏 平賀氏 弘中氏
ふ 福井氏 福嶋氏 福原氏 福間氏
ほ 北条氏

ま行
ま 馬来氏 益田氏 町野氏 松田氏
み 三浦氏 三上氏 御郷氏 三隅氏 三田氏 三井氏 光永氏 三戸氏 南方氏 三吉氏 三輪氏 宮氏
む 椋梨氏 村上氏 村田氏
め 廻神(めぐりがみ)氏
も 毛利氏 門司氏 門田(もんでん)氏

や行
や 矢田氏 柳沢氏 山内氏 山県氏 山田氏 大和氏
ゆ 湯浅氏 湯川氏 湯原氏
よ 横山氏 吉田氏 吉見氏

ら・わ行
り 李家(りのいえ)氏 冷泉(れんぜん)氏
わ 鷲頭氏 渡辺氏 和智氏 綿貫氏



 推薦のことば
   前毛利博物館館長 臼杵 華臣
 家系のルーツをたずね、姓氏の由来を究めたいとは、誰しもが持つ願望であろう。
 幸いなことに長州藩では享保年間、家老から細工人に及ぶ全ての家臣に命じて、伝来の文書の写しと略系をつけ出させた。これを『萩藩閥閲録』という。その後も引き続いて藩庁は、数次にわたって、各家の系譜と伝書を録上させており、その総数は二五九五家に及ぶ。これを『萩藩譜録』という。
 ところで、長州藩の家臣団を総覧するに、戦国時代、毛利元就が中国地方十州に覇をとなえて以来、十州の豪族は全てその麾下に集まり、さらに中世、中国地方から北部九州一帯に支配力を握った大内氏の遺臣たちがまたこれらに糾合された。そして慶長五年の関ヶ原合戦後、毛利氏の防長移封にともない、これらの家臣は主家と共にこぞってこの地に集結したのである。したがって『閥閲録』『譜録』に載せるところは、独り防長二州に止まらず、その出自の由来するところ、中国・四国・九州さらには京阪・関東におよぶ。
 編者はこのことに着目し、前掲の二書を精査し、大内氏関係ではその本拠地防長にはじまり、帰属の京阪・中国・四国・九州の諸族、毛利氏関係では関東にはじまり、その制覇した中国地方全域の諸族のうち、出自のはっきりしているもの、史実の裏付があり信懸性の高いもの、全国的な広がりをもつものなどを重点に、禄高・身分に関係なく二百数十家を選び、その家系を究明した。
 調査に際しては、広く関係の県史・市町村史による探索はもとより、疑問点については氏族の出自地に出向き正確を期したと聞く。その長期にわたるたゆまぬ努力に深く敬意を表するものである。
 本書が、複雑多岐にわたる毛利氏家臣団の成立とその変遷を解明する一助となり、諸家の家系をたどることによって、われわれに出自を探る手懸かりを与えてくれることを期待するものである。
(本書パンフレットより)