毛利家の根本史料が伝える戦国期中国地方の治乱興亡
毛利輝元卿伝
 三卿伝編纂所・渡辺世祐
 マツノ書店 特装復刻版 *初版は昭和57年マツノ書店
   2003年刊行 A5判 上製 函入 542頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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■毛利家に伝わるあらゆる記録・古文書を歳月をかけて編集した本書は、戦国期中国地方の歴史を知るため不可欠の史料集であり、織・豊時代史の白眉として広く知られています。
■初版は昭和五十七年に小社から刊行され、すぐ売り切れ、早くから復刻を待たれていました。
■今回の復刻に際し、初版の誤植十六箇所を修正しました。
『毛利輝元卿伝』 目次
目次
巻頭言 毛利元敬
序 渡辺世祐

第一編 元就卿薨去後の形勢
 第一章 家政
 第二章 尼子勝久の敗走
 第三章 浦上宗景との抗争及び講和
 第四章 大友義鎮との関係
 第五章 元就卿遺業の完成
  第一節 厳島神社の遷宮
  第二節 宿老及び奉行に対する掟

第二編 中国戦役
 第一章 足利義昭の倚頼
  第一節 義昭と織田信長の不和
  第二節 卿と義昭との関係
  第三節 卿と信長との関係
  第四節 三村元親の背反と滅亡
  第五節 尼子氏三度興る
  第六節 草刈景継の背反と致死
  第七節 義昭の備後靹下向
 第二章 毛利・織田両軍の衝突
  第一節 卿の作戦計画
  第二節 大坂本願寺援助
  第三節 卿の出征
  第四節 讃岐の経略
  第五節 信長の対策
 第三章 羽柴秀吉の来征
  第一節 秀吉の播磨経略
  第二節 別所長治の服属
  第三節 上目の役
   第一 毛利軍の上月着陣
   第二 織田軍の上月城救援第
   第三 毛利・織田両軍の交戦
   第四 上目城の陥落と尼子勝久の滅亡
   第五 尼子氏遺臣の末路
   第六 毛利軍の凱旋
  第四節 荒木村重の服属
  第五節 本願寺との関係
  第六節 正親町天皇の毛利・織田両氏御調停
 第四章 毛利軍の苦戦
  第一節 信長包囲陣の瓦解
  第二節 部下諸氏の背反
   第一 市川元教の背反
   第二 杉重良の背反
   第三 南条元続の背反
   第四 宇喜多直家の背反
  第三節 宇喜多直家攻撃
  第四節 別所長治の滅亡
   第一 別所氏属城の陥落
   第二 三木の役
   第三 秀吉の播磨経略完了
  第五節 荒木村重の没落
  第六節 大坂本願寺の降服
   第一 光佐と信長の講和
   第二 光寿の抵抗と降服
  第七節 信長の備中侵入準備
  第八節 美作祝山城の陥落
  第九節 備前児嶋争奪戦
  第十節 毛利・織田両氏の和平交渉とその中止
  第十一節 鳥取の役
   第一 秀吉の鳥取城攻略
   第二 毛利軍の鳥取城奪回
   第三 秀吉の鳥取城攻囲
   第四 鳥取城の陥落
  第十二節 秀吉の淡路経略
 第五章 高松の役
  第一節 役前の形勢
  第二節 織田軍の備中侵入準備
  第三節 秀吉の備中侵入
  第四節 卿の出陣
  第五節 上原元将の背反
  第六節 高松城の水攻
  第七節 秀吉の請援と信長の急死
  第八節 講和の交渉
  第九節 清水宗治の自刃
  第十節 講和の成立と卿の帰陣

第三編 豊臣秀吉時代
 第一章 卿と秀吉との関係
  第一節 中国戦役後の形勢
  第二節 羽柴秀吉・柴田勝家の抗争と卿
  第三節 領界の画定
   第一 画定の交渉
   第二 割譲地諸将の反対
   第三 画定の成立
  第四節 吉川経言卿及び小早川元総の上坂
  第五節 来島通昌の帰国
  第六節 卿の養女と羽柴秀勝との結婚
 第二章 秀吉の国内統一と卿の参画
  第一節 紀伊征伐
  第二節 四国征伐
   第一 戦前の形勢
   第二 毛利軍の出征
   第三 毛利軍の凱旋
  第三節 九州征伐
   第一 戦前の形勢
   第二 卿の出陣
   第三 豊前諸城の攻略
   第四 豊臣秀吉の親征
  第四節 九州再度の出征
   第一 肥後一撲蜂起と豊前出征
   第二 筑前出征
   第三 凱旋
  第五節 上洛
   第一 準備
   第二 上洛
   第三 聚楽第訪問
   第四 参内と叙位・任官・賜姓
   第五 離洛準備
   第六 近江遊覧
   第七 大和郡山城訪問
   第八 奈良遊覧
   第九 大坂城訪問
   第十 帰国
  第六節 関東征伐に於ける功績
   第一 毛利軍の出動第二卿の京都警護第三卿の帰国

第四編 広島在城時代
 第一章 広島築城
  第一節 城地選定
  第二節 築城経過
  第三節 卿の入城
  第四節 広島築城の意義
 第二章 朝鮮の役と卿の参画
  第一節 戦前の卿
   第一 外征と卿の準備
   第二 外征部署と卿の地位
   第三 壱岐出陣
   第四 毛利氏領内の秀吉歓待
  第二節 文禄の役と卿の転戦
   第一 釜山上陸
   第二 星州入城
   第三 若木入城
   第四 開寧入城
   第五 開寧滞陣と慶尚道経略
   第六 卿の病気
   第七 釜山転陣
   第八 秀元の渡鮮
   第九 卿の釜山滞陣
   第十 秀元の晋州城攻略
   第十一 講和交渉と卿の帰国
   第十二 秀元の釜山滞陣
   第十三 秀元の帰国と結婚
   第十四 任官と叙位
   第十五 毛利軍の撤退
  第三節 慶長の役と毛利軍の活躍
   第一 毛利軍の再征準備
   第二 秀元の出征
   第三 秀吉の毛利軍の帰還要請
   第四 秀元の蔚山城救援と帰国
   第五 卿の参画と外征軍の帰還
 第三章 外征中の毛利氏
  第一節 嫡子秀就卿の誕生
  第二節 淀川提防の構築
  第三節 法度の伝達
  第四節 足利義輝三十三回忌供養
  第五節 隆景卿の薨去
 第四章 豊臣秀吉の薨去と卿
  第一節 秀吉の遺託
  第二節 卿と徳川家康
  第三節 毛利氏の団結
   第一 村上氏一族の起請
   第二 七重臣の起請
   第三 広家卿と末次元康との和解
   第四 乃美景継の起請
   第五 鵜飼元辰の殺戮
   第六 組頭の任命
  第四節 秀就卿の元服と叙位・任官
 第五章 関ヶ原役と卿
  第一節 会津征伐と卿の態度
  第二節 安国寺恵瓊の策動
  第三節 大坂入城
  第四節 毛利軍の東進
  第五節 毛利軍と東軍との講和
  第六節 西軍の大敗
  第七節 大坂退城

第五編 隠居時代
 第一章 防長転封
  第一節 徳川家康の違約
  第二節 毛利氏諸将の忠誠
   第一 岩室坊勢意
   第二 井上元義父子
   第三 山内広通
   第三節 卿の薙髪と隠居
  第四節 転封承諾
  第五節 広島城引渡
  第六節 秀就卿の江戸下向
  第七節 卿と毛利氏一族との起請
   第一 広家卿との起請
   第二 天野元政との起請
   第三 秀元との起請
  第八節 徳川氏諸城の修理手伝
   第一 伏見城修理手伝
   第二 江戸城修理手伝
  第九節 江戸参観
  第十節 帰国
  第十一 節萩築城
   第一 城地選定
   第二 幕府との交渉
   第三 築城
   第四 入城
 第二章 萩入城後の卿
  第一節 吉見広長の出奔
  第二節 熊谷党の誅戮
  第三節 毛利氏の団結
   第一 秀元と益田元祥との和解
   第二 広家卿と秀元との和親増進
  第四節 秀就卿の結婚
   第一 婚約
   第二 結婚
 第三章 大坂の役と卿
  第一節 卿の態度
  第二節 冬の陣
  第三節 夏の陣
  第四節 佐野道可の最期
 第四章 晩年及び薨去
  第一節晩年
   第一 卿の女と吉川広正卿との結婚
   第二 徳山毛利家の創立
   第三 上洛
   第四 秀就卿への教訓
 第二節 薨去
   第一 病気
   第二 薨去
 第五章 勤王とその継承
  第一節 石見銀山の貢租
  第二節 恩栄と進献
  第三節 歳暮年頭の進献

あとがき (野村晋域)
索引 (利岡俊明・作成)


 『毛利輝元卿伝』の刊行をよろこぶ
   山口県地方史学会名誉会長 三坂 圭治
 このたび、『毛利輝元卿伝』がマツノ書店から刊行されることになった。編纂が開始されて四十五年、原稿が完成してから三十八年、長らくその刊行が待望されていたが、漸くその運びに至ったことを心から喜ぶものである。

 輝元卿については改めて述べるまでもないが、戦国の乱世を生き抜いた祖父元就卿の遺業を継承し、吉川元春・小早川隆景の両叔や、従弟毛利秀元・吉川広家らの輔翼のもとに、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らと対決しながら、苦難に堪えてよく子孫に家名を伝え、強靭な意志と忍耐をもって生涯を貫いた姿にば敬服させられる。輝元卿の人間性と、当時の歴史の動きを理解して頂くためにも、ぜひ一読をおすすめする。

 本書は、毛利・吉川・小早川三家の共同事業として始められた元就・元春・隆景三卿の伝記編纂所において成稿したものである。三卿伝編纂所は大正三年に設立され、瀬川秀雄博士を所長として編纂がすすめられたが、その後事情があって瀬川博士は退任され、昭和六年から暫く中止となっていたのを、同十一年九月に至って渡辺世祐博士を新所長に迎え編纂が再開された。この時あらたに輝元卿および毛利隆元・吉川元長の両卿が加えられ、六卿の伝記編纂がすすめられることになった。輝元卿の伝記は編纂員野村普域(のぶくに)氏が担当して渡辺博士監修のもとに脱稿され、昭和十九年九月に出版された『毛利元就卿伝』(上巻)につづいて刊行にかかり、ゲラ刷りも一部出たのであるが、戦局の悪化により中止のやむなきに至った。
 戦後は社会情勢の変動により、編纂の母体となっていた毛利家編輯所も閉鎖され、そのため出版事業の再開は不可能になった。戦前、私は毛利家編輯所に籍を置き、記録課長を兼任して毛利文庫の典籍や古文書・旧記類の保管に当たっていた関係もあり、恩師渡辺先生のご生前に、機会をえて元就・輝元卿の伝記、とくに『輝元卿伝』の出版を実現するようご遺託をうけていた。その後、昭和二十七年に、三卿伝関係の原稿や蒐集史料は「毛利家文庫」とともに、毛利家から県立山口図書館に寄託され、ついで三十五年、山口県文書館創設に伴って文書館に引き継がれ、整理・保存されて今日に至っている。その間、四十年頃に文書館で石川卓美氏が出版を計画されたこともあったが、文書館では『防長風土注進案』刊行のあと、『萩藩閥閲録』や『山口県政史』の編集が続き、また『毛利家文庫目録』の刊行もおこなわれていたため、実現に至らなかった。

 これまでに輝元卿の伝記として公刊されたものには、大田幽石(報助)『毛利輝元卿事蹟』(「防長史談会雑誌」五号〜三十一号、明治四十三年〜四十五年)、利岡俊昭『毛利輝元』(人物往来社「大名列伝1」所収、昭和四十一年)などがあるが、いずれも小冊子である。それに比べると本書は七百頁をこえる大著で、そのうちの約五百頁が天正四〜慶長五年の記述にあてられており、現在の学界の水準からみても、中国地方の雄鎮であった輝元卿の動きを中心に書かれた織豊時代史の白眉であると信ずる。
 渡辺先生から本書の刊行を遺託されて三十年近い歳月が流れてしまった。何とか先生とのお約束を果たさなければと心にかかっていたが、毛利家や文書館をはじめとする関係方面のご好意で、今日その責めを果たすことができたのは望外の喜びである。
(本書初版パンフレットより)




『毛利輝元卿伝」の刊行に寄せて
  広島大学名誉教授 後藤 陽一
 この度、待望の書『毛利輝元卿伝』が公刊されると聞き喜びにたえない。戦前、毛利家では三卿伝編纂所を設けて、当初は瀬川秀雄氏、再開後渡辺世祐氏という斯界の第一人者を所長に迎えて、元就・元春・隆景の本格的な伝記編纂が進められたが、渡辺所長の下では、併せて輝元・隆元・元長の伝記をも編纂することとなり、前後二十五年の歳月を重ねて、太平洋戦争下の昭和十八年九月、それらはすべて完成し、逐次刊行される予定と伝えられていた。しかし、戦局の激化は『毛利元就卿伝」上巻の刊行をみただけで中断され、原稿は毛利家文庫に秘蔵されたまま、多くの人の目に触れることもなく今日に至った。
 今回、三坂圭治・臼杵華臣両氏の校訂によって、先ず広島とはもっともゆかりの深い『毛利輝元卿伝』が、はじめて公刊されることとなり、これは渡辺世祐氏の監修のもと、戦国時代史研究の権威野村普域氏の執筆に成るといわれているだけに、おそらく綿密、精致な考証、論断に、われわれは大きな学恩を受ける機会に恵まれるといえるものがある。

 輝元は、十才のとき父隆元を失い、元亀二年(1571)祖父元就の死去によって、十八才の若さでその後を継ぐこととなった。叔父吉川元春・小早川隆景が健在で、輝元の輔翼となったが、なお戦国の動乱の渦中にあって、中国地方八か国にまたがる大領国の大守たる地位を保持することは容易ならぬものがあったと思われる。
 襲封後の輝元は、ほとんど戦陣の間にあった。山陰には尼子勝久の再興があり、備中に進出してくる浦上宗景・宇喜多直家らとの抗争、さらに羽柴秀吉を先鋒とする織田軍の中国地方進攻を迎え撃つべき戦局に対面するのである。本能寺の変を契機とする秀吉との講和後は、秀吉の国内統一戦に参じて東西に奔走することとなる。この間広島築城のことがあり、ついで文禄の役における朝鮮への出陣の労が続く。そして最期が関ケ原役に際して、西軍の総裁に推されての大坂入城である。このときは、結局戦わずして家康の軍門に降ることとなったが、その結果、責を問われて防長二国に削封され、輝元自身は四十八才にして薙髪、隠居して、家督を秀就に譲ったのである。
 かくて、輝元の生涯は、日本の歴史が大きなうねりをもって転回した信長―秀吉―家康時代の激動の裡に、直接これら天下の主役と深い関わりに結ばれながら、いかにして祖父の功業を守り抜くかに燃焼され、結局は家康の狡知に謀られて蹉践するという運命を担わされるのである。
 すなわち、輝元の生涯の履歴をあとづけることは、彼と深い人間関係に結ばれた群像の虚実の動きの裡に、地方に生きる者の主体において、この時代の天下の動きを解明することとなるのである。
 二十五年の歳月をかけて、斯界の権威によって叙述された『毛利輝元卿伝』の刊行に、私たちの期待するところは大きい。
(本書初版パンフレットより)