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元就軍記の名著「陰徳記」の欠陥を補う貴重資料 |
安西軍策 付・毛利元就記 | |
近藤瓶城 | |
マツノ書店 復刻版 | |
2003年刊行 A5判 上製 函入 542頁 パンフレットPDF(内容見本あり) | |
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『陰徳記』の原資料『安西軍策』の覆刻を喜ぶ 島根女子短大学長 藤岡 大拙 |
本書は中国地方の戦国時代を描いた軍記物の一つである。巻第一の大内義興が永正五年(1508)"流れ公方"足利義植を奉じて上洛する件から、巻第七の慶長の役(1597)で渡海した吉川広家の活躍まで、およそ百年間を記述したものである。著者も成立年代も不詳であるが、毛利藩の編纂した『新裁軍記』(マツノ書店刊)によると、「安西軍策は岩国の人著せり」とあるので、著者は岩国吉川藩の家臣の誰かであろう。そういえば、全体に毛利氏や支藩吉川氏の記述が中心で、大内や尼子などに関する記事は比較的簡略である。 注目すべきは、本書が中国地方戦国史のもっとも詳しい軍記物『陰徳記』(マツノ書店刊)の原資料になっていることである。従って、本書は『陰徳記』の成立した万治三年(1660)以前に完成していたことは確実である。『陰徳記』の著者香川正矩は、本書の記述をほとんどとり入れたうえで、内容を追加し、中国の故事を引用したりして文学的修飾を行い、大きく膨らませた。従って、『陰徳記』は正矩の子宣阿が著した『陰徳太平記』とともに、物語性にとみ、読んで面自いのだが、反面、核心がぼけたり史実から遠ざかるなどの欠点も否めない。その点、本書は冗長な修飾がないほど、史実により近い記述であり、『陰徳記』の欠点を補う貴重な資料ということができる。 このように貴重な軍記物である本書は、明治十五年(1882)史籍集覧に収録され公刊された。明治三十五年改訂史籍集覧にも収録され、以後、再版されたこともあったが、刊行部数が少なかったためか、現在では研究者の手にも入りかねるほどの稀襯本になっている。今回、マツノ書店から覆刻のはこびとなったのは、そうした意味でたいへん大きな意義があり、欣快の至りである。 本書は一般に「あんざい」軍策と訓まれているが、「安西」が安芸と鎮西の意であるとするなら「あんぜい」または「あんせい」と訓むべきだろう。しかし、本書において鎮西に関する記述は、巻第六に載るだけで、全体としては中国地方の記述が圧倒的である。もし、「西国を安んずる」という意ならば、「あんざい」又は「あんさい」のほうがいいだろう。なお、『続群書類従』二十三(上)に「安西軍略」という類似の名前をもつ、毛利氏を中心とする軍記物が収録されている。記述は簡略でかなりの誤字や錯簡があるが、本書と記述の部分的共通性が認められる。 (本書パンフレットより) |