肉親・弟子・評論家など生き証人を含む明治の見た松陰像
雑誌「日本及日本人臨時増刊」第495号
松陰号
B5判208頁・函入

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■明治41年10月発行の「日本及目本人臨時増刊」『吉田松陰号』を、そっくりそのまま復刻。
■松陰像は明治・大正・昭和・平成と、時代の潮流につれて大きく変遷しています。この『松陰号』は明治に生きた人たちの松陰観を代表する貴重な文献です。
■復刻にあたっては、一坂太郎氏による解説(さらに充実させ、執筆者の紹介を加えたもの)を付し、保存用ケースを新しく作りました。


『日本及目本人』吉田松陰特集号について
東行記念館副館長学芸員・一坂太郎
近代日本におけるジャーナリストの巨頭と言えば、まず思い出されるのが、徳富蘇峰(猪一郎、熊本出身)と三宅雪嶺(雄二郎、石川出身)の二人であろう。

明治中期、蘇峰は民友社を創立、雑誌『国民之友』を創刊して平民主義を創出、鼓舞し一世を風靡した。同じころ雪嶺は、政府の専制主義と欧化主義に批判的立場をとり、同志と共に政教社を設立し、雑誌『日本人』で国粋主義を唱える。この対照的な二人が、共に「吉田松陰」を論じた著作を残していることは興味深い。

蘇峰のは明治26年(1893)12月、民友社から出版された『吉田松陰』である。この著書で蘇峰は「革命家」「革命的急先鋒」としての松陰像を打ち出した。「彼が殉難者としての血を濺ぎしより30余年、維新の大業半ば荒廃し」と、藩閥政府に対する現代批判を込めながら「第二の維新」「第二の吉田松陰」の出現を望みつつ、若々しく反骨精神漲る蘇峰の筆はおかれている。

にもかかわらず、明治27、8年の日清戦争を正当化し、明治30年には第二次松方正義内閣の内務省勅任参事官に任じられた蘇峰は、政界との接触の頻度・密度を急速に強めてゆくことになる。元来、政府を批判しながらも、政治家とのパイプは抜け目なく保っていた男だ。世間はそんな蘇峰を藩閥へ降伏したと非難し、「民友社」は「官友社」になったと、嘲笑した。

日露戦争で日本が勝利し、帝国主義指向が不動のものとなった時期、蘇峰は旧著『吉田松陰』を全面的に改稿し、世に送る。発行日は奥付によれば、明治41年10月12日。改訂版は元版にあった「革命」という文字が全て削除され、「改革」に置さ換えられた。また、「革命家と
しての松陰」や、19世紀のイタリア統一運動「三傑」の一人マッツィニと対比した「松陰とマヂニー」の章は完全に削り取られ、かわりに「松陰と国体論」といった章が加えられる。

蘇峰が『吉田松陰』改訂版を出したこの年は、松陰が「安政の大獄」で処刑されてから、50年にあたった。10月17日には帝国教育会が、松陰没後50年の記念大会を催している。

そして10月18日、三宅雪嶺もまた自ら主幸する雑誌『目本及日本人』の495号(臨時増刊)で吉田松陰特集を組み、政教社から発行した。雪嶺を始め吉田庫三・野村靖・乃木希典・中原邦平・杉浦重剛・長谷川芳之助・三宅花圃・松宮春一郎・横山健堂・河東碧悟桐といった、時代を代表するような豪華な執筆陣である。

この特集中でまず見るべきは、やはり雪嶺の松陰評である「二十一回猛士五十年祭」であろう。

雪嶺は蘇峰が削除したマッッィニとの対比をあらためて行う。松陰がその生涯を全うしていたら、いかなる道を歩んだかを推測する中で、「幕府を破壊して王政の興復に努むるも、後ち議の同僚と協はず、画策に次ぐに画策を以てするが如きあらば、或る点に於てマジニーと併せ視るべき無しとせず。而もマジニーの友と絶つに反し、頗る友情に篤く、友と終始する跡あるを観れば、経歴の大に異なるべきをも考え得ざるに非ず」と評すのである。

あるいは、松陰の性格が「事実に顕はれし所に據れば、衆と和して安逸を倫むよりも国家の為めに身を危くするの傾向ある」とし、もし維新後に生きたとしても「不遇に終はるべき数なり」と見た。「数」とは、「さだめ」「運命」のことである。

僅か四ページの短い文章ではあるが、つねに在野の立場に徹し、藩閥政府批判に終始した雪嶺らしい松陰評だ。

雪嶺は現実の政局や時勢への関心は強かったが、つねに世俗とは一線を画そうとした。束京帝国大学の学生時代に哲学を専攻したことや、ほとんど主宰するに近かった『日本人』では、経営にタッチしなかったところに、そういう姿勢が良くあらわれている。利益追求の資本主義化が展開する流れの中で、国粋主義をもって対抗していたのだ。

そうした雪嶺の衰えることを知らない精神は、この松陰評からもうかがう事が出来よう。同時期に出た蘇峰著の改訂版と比べることで、その魅力はさらに際立って見えるのだ。

だから田中彰「吉田松陰象の変遷」(中央会論社『日本の名著(31)吉田松陰』昭和48年、所収)では、この雪嶺の文章を「ここにはなお、蘇峰『吉田松陰』元版における松陰像が尾を引いていた、といえるかもしれない」と評す。雪嶺の面目躍如たるものがある。

『日本及日本人』松陰号が出た当時は、没後半世紀を経たとはいえ、松陰の面影を知る者はまだ存命しており、その「生の声」を聞くことが可能だった。本誌に紹介された門下生野村靖や妹千代の回顧談は、いまや史料として松陰を語る際にしばしば引用される。

そのような時代の空気を吸いながら編まれたこの特集は、特に明治後期の「松陰像」を知る上で不可欠の文献であることは間違いない。だが、発行からすでに90年余も経っており、雑誌という性格上、今日、保存されている冊数も決して多くはないと思われる。しかも紙質も製本も、お世辞にも度いとは言えない。復刻して後世に伝える意義は大きいと言えるだろう。