この頭脳から、日本の近代は始まった
大村益次郎
大村益次郎先生伝記刊行会
 マツノ書店 復刻版 *原本は昭和19年
   1999年刊行 A5判 上製 函入 1142頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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▼日本の近代を築き上げた大人物の双壁。それは吉田松陰と大村益次郎である。両者は共に卓越した学者であり、実践家であった。その学殖と人格によって松陰は思想に、大村は技術に、それぞれ強烈な個性を発揮した。そして共に国家に殉じ、悲壮な最期を遂げている。
▼この『大村益次郎』は、数多い大村関係書の中で最高最大のものである。門外不出のあらゆる史料を駆使して作られており、今後も本書をしのぐ伝記は現われないといわれている。
▼本書は複雑多岐にわたる幕末維新史を巧みに記述しつつ、その中で大村の人物とその事蹟を描いており、本書を読むことにより維新の動向をも掴むこともできるという完結した構成をもつ。またその文章は、描かれている大村の性格そのままに、史料の端々に至るまで、あくまでも正確、平明、簡潔を旨としており、きわめて読みやすい。



『大村益次郎』  略目次
第一 出生と家系
 
出生とその時代 先生の家系
第二 少年時代
第三 修業時代(上)
 
梅田幽齋の学塾に入門
第四 修業時代(中)
 
廣瀬淡窓の学塾に入門 学則その他 講授書目と進級規程 先生の勉学成績 先生の塾中の動静と詩作 兵制改革の思想養成 再び梅田の塾に入門
第五 修業時代(下)
 
緒方洪庵の適塾に入門 塾の学風と塾生 ヅーフ部屋 長崎遊学と適塾塾頭
第六 医術開業
 
郷里に医術開業 先生の結婚
第七 宇和島藩出仕
 
宇和島藩の蘭学及び医学 伊達宗城時代における蘭学及び医学 高野長英後の先生 先生の造艦事業 江戸で鳩居堂開塾 蕃書調所教授方手傳、講蔵所教授「安政五年帰省日記」に現はれたる簡素族行 女囚の死体解剖 先生の岩屋玄蔵有備館蘭学教授 安政の政局 長州藩の兵制改革
第八 長州藩出仕
 
青木周弼、桂小五郎等の推薦 英語修学 竹島開拓問題 博習堂規約 北方問題 恩師緒方洪庵に酬
第九 長州藩の政情
 
討幕と嬢夷―先生來原良蔵の自匁を嘆く 長州藩の攘夷 洋行者の族費調達 先生藩地に帰る―八月十八日の政変、但馬・生野の帰兵
第十 長州初征
 
元治甲子の変 四国艦隊の下関砲撃 長州征討
第十一 長州再征
 
長州藩の革新派 薩長聯合 長州再征と将軍の進發 四境戦争 先生の戦術及び陣中の逸事 幕軍の敗戦
第十二 長州藩の出兵問題
 
四境戦争後の先生 兵庫開港と長州処分 討幕に関する先生の出兵尚早論 長州藩の出兵東上
第十三 新日本の興隆
 
王政復古の序曲 長州藩主父子及び七卿等の恩赦 王政復古の大號令を漢發 小御所会議 政局の危機
第十四 新政権の誕生奮権力の顛落と新権力の勃興鳥羽伏見戦事・幕軍の敗北第十五先生の新政府佳官
 
長州藩及び先生の態度 先生の軍防事務局出仕 行政機構の簡素化
第十六 東徒軍江戸城進撃
 
東征大総督有栖川宮熾仁親王御進發 慶喜恭順と江戸城明渡その後の政情
第十七 先生と彰義隊
 
先生の東下 彰義隊の組織及びその経過 彰義隊討伐
第十八 先生と東北平定
 
奥羽諸藩の反逆 会津戦争と政治的諸問顕 木戸孝允の日記・手紙に現はれたる先生
第十九 先生の光榮
 
太刀料三百両下賜 老父に光榮を頒つ
第二十 先生の兵部大輔
 
先生と三職公選 永世禄下賜 財政に苦慮 兵部大輔に任ぜらる
第二十一 先生と兵制改革
 
兵学校の創設 士官の養成 兵制五大綱目 先生と徴兵割度 先生と進歩主義
第二十二 先生の遭難
 
先生の西下及び巡回覗察 遭難の實況 遭難の創傷に関する再検討 兇行事件当夜の京都 族寓における治療と警衛 飛報東京に達す 兇徒捜索の布達
第二十三 先生の逝去
 
病状漸次に悪化 病床に国事を憂ふ 最後の手紙 兇徒の捕縛虚刑及び停刑事件
第二十四 靖国神社と櫻樹
 
靖国神社の創始 櫻樹の植込み
第二十五 大村神社
 
創立の由来 鎭座祭詞寫 由緒 故大村兵部大輔贈從三位大村公神道碑 大村神社奉賛会設立
第二十六 靖国神社境内の先生の銅像建設
 
皇族の御賛助を得て銅像建設 銅像護国の英霊を守る
第二十七 大村益次郎卿遭難之碑
第二十八 先生の足塚
 
記録の発見 大村兵部大輔埋腿之地碑
第二十九 兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑
 
発端 建設の趣旨 経過 記念碑竣工式 記念大講演會並に映画上映
第三十 先生の全貌
 
英国公使パークスに国民皆兵を説く 先生の風貌 嫌ひなもの三つ @洋服嫌ひ A写真嫌ひ B船嫌ひ 軍に節約主義適用 軍紀振粛 軍務に從ふは健康から 軍費の誤算を修正 軍事指令至急報 戦況ニュース兼官報発行 靴と兵隊 凱旋の勇士を豆腐で犒ふ 剣道無修業 官紀粛正 時間嚴守 粗食節約 卓越せる経済眼 無愛想の挨拶 書画骨董趣味 大西郷と大村 胆氣豪男・言行俊警 兵隊を差向ける 北方の護り堅く 常識を発達させよ 外人崇拝排撃 先生の信念 大陸政策 明快緻密の英傑 先生と海江田信義 先生と青木周弼 著譯書・日記・備忘録
参考文献
 @緒方洪庵蕾宅及び適々齋塾について(図解)  A海軍銃卒練習軌範 B弟子籍〔鳩居堂〕 Cトコトンヤレぶし D大村兵部大輔負傷の件 E兵部大輔殿入院一件 F刺客の口供

大村益次郎年譜



 最高最大の大村益次郎伝
     内田 伸
 現在、大村益次郎の伝記は40数冊を数えることができる。大村伝は太平洋戦争中に10冊を超えるものが出版されているが、さらに近年、司馬遼太郎の大村益次郎を主人公とした小説『花神』を、昭和52年のNHKの大河ドラマでとり上げたので、いわゆる花神ブームとなり、それに便乗して大村伝が多く出た。花神ブーム時の伝記は、小説『花神』を下敷きにしたものがあって、フィクションが真実のように書かれているものが多く、史料的価値のあるものは無い。
 大村伝で史料的価値のあるものとしては、わずか2冊であるといってよい。1冊は大正8年出版の村田峯次郎著『大村益次郎先生事蹟』で、もう1冊は昭和19年出版の、大村益次郎先生伝記刊行会編大村益次郎』である。村田峯次郎は明治25年に『大村益次郎先生伝』を出版しており、大正出版のものはそれを充実したものであるが、後半に大村に面識のあった人びとの談話などが多くあって貴重である。
 大村益次郎先生伝記刊行会編の『大村益次郎』は昭和19年発刊で、1000ぺ−ジを超える大冊である。さすが伝記刊行会を組織しての仕事であり内容は充実している。それは今まで門外不出であった大村子爵家蔵の史料が根底となっているからである。現在大村家蔵の大村益次郎史料は、全部山口県文青館に寄託されているが、その中には史料として貴重な大村の洋学塾の鳩居堂入門簿や日記、大村便用の西洋手帳などが無い。大村家の話では、疎開荷物が途中でいくつか紛失したということであるが、それに入っていたものであろうか。
 ところが有難いことに、この大村伝には鳩居堂入門簿全部が載っている。この本が無かったら、鳩居堂の大村門人は今は全くわからない状態というべきであった。このように、この外に大村の日記や覚書などで、もうこの大村伝以外には記録が無いというものがいくつかある。そうするとこの大村伝の価値は何ものにも換え難く、維新史料としてもたいへん価値の高いものというべきである。
(本書パンフレットより)